8-2 自分の智慧の傲り

今思えば、私が人生について考察する時、

どうして私を四方から取囲んでいる人類の生活を看過(かんか=見逃すこと)したのか、

どうして自分が、

私やソロモンやショーペンハウエルのような人の生活こそ
真正かつノーマルな生活であって、
幾十億の人々の生活は、注意を向けるだけのこともない その背景にすぎぬ

と考える程まで滑稽な迷誤(めいご)に陥ったか、不思議なくらいだけれど--

--全く今思えば 不思議でしょうがないけれど、やっぱりそうだったということが分る。

自分の智慧の傲(おご)りの故に迷っていた頃、

私は私がソロモンやショーペンハウエルと共に、
問題を最も忠実に正しく提起(ていき=問題・話題などを持ち出すこと)していて、
外に提起の仕様はないと頭から思い込んでいたので、

--また幾十億の人類大衆は 悉(ことごと)く
問題の深みを理解するに至らぬ人々に外ならないと
信じて疑わなかったので、

自分が人生の意味を探求する際に

一度も、

《これら全て幾十億の、この世に過去にも生きて来たし
現在も生きている人々は、自分の生活にどんな意味を与えているのだろう?》

と考えたことはなかった。