13-3 教会の言い分にある詭弁に気がつかなかった

これらの神学者達の説明によれば、

信仰の根本的な拠(よ)り所は 神聖不可侵の教会だった。

このドグマ(dogma 各宗教・宗派の独自の教理・教義)の承認からの
不可避の結論として、

教会の説くところのものは 一切が真理だということになる。

愛によって合一され、

したがって正しき真理を知る信者の集合体としての教会が、

私の信仰の基礎となったのだ。



私は自分に言うのだった。

神の真理は 唯一人の人間の手には届かない。

それはただ、愛によって合一せられた人々の合同体にのみ啓示(けいじ)される。

真理を認識するためには、分裂を避けなければならないが、

分裂しないためには 愛すること、

見解を異にする事柄とも 折合いをつけることが必要である。

真理は 愛情に対してのみ啓示される。

それ故 おしお前が教会の儀式に服従しないなら、
お前は 愛を破壊することになり、
愛を破壊すれば 
自(みずか)ら真理認識の可能性を放棄することになる。云々(うんぬん)。

---当時私は 
こうした言い分の中にある詭弁(きべん=こじつけ)に気がつかなかった。



当時は 愛による合一が最大なる愛を生むことは出来ても、

決してニケヤ信条の中で固定的な言葉で言い現わされたような、
神の真理を与えることは出来ない ということが分らなかった。

更にはまた、

愛というものが、人々の合一のためには、
真理の特定の表現がぜひ必要だと義務づけることはしない
ということに気がつかなかった。

私は当時 この言い分の誤謬(ごびゅう)に気づかず、

そのおかげで 正教会の儀式の全てを、
大部分理解出来ないまま 受け容れ、
遵奉(じゅんぽう=教義などに従い、それを守ること)するということが出来たのだった。

当時私は 苦心惨憺(くしんさんたん)して、いろんあ理窟をのべ立てたり、

反論したりすることを避けようと努め、

私が衝突する教会の諸教条を、出来るだけ合理的に説明しようと試みたのである。



教会の儀式を遵奉しながら、私は自分の理性をなだめ、

全人類の中の 古来の遺訓に身を委(ゆだ)ねた。

私は 自分の先祖、愛する父、母、祖父、祖母と合体した。

彼らと、そして全ての先人達は、信じ、生き、そして私をこの世にもたらしたのだ。

私は民衆の中の、自分が尊敬する幾百万の人人と合体した。



のみならず、これら儀式遵奉という行為は、

それ自体何も悪いものではなかった。

(情慾に耽(ふけ)ること、それを私は 悪と呼んだ。)

教会の朝の礼拝参加のため 早起きする時、

私はそれがただ、人生の意味の探求という大義(たいぎ=大切な事柄)のために

己れの理智の傲慢(ごうまん)を和らげ、

自分の先祖や同時代人と近づく という目的で、

自分の肉体的安逸を犠牲にするだけでも結構なことだと思ったのである。



儀式上の精進、毎日の礼拝叩頭(こうとう=頭を地面にすりつけてお辞儀すること)、

あらゆる斎日(ものいみ)の厳守といった際も同様だった。

これらの犠牲が いかに数ならぬものであっても、

それは善なるものの名において 献(ささ)げられたのである。

私は精進し、斎(ものい)みし、
家にあっても教会においても定刻の祈祷(きとう)を欠かさなかった。

教会の祈禱(きとう)に耳を傾ける時、私は各語々々をかみしめ、

もし出来れば それらの言葉に意味を附与したりした。

朝の勤行において 私にとって一番大切な言葉は、

《我等互いに相愛し、思いを一にせん》というのだった。

ずっと先の方の《相共に父と子と精霊とを伏し拝まん》というのを

私は黙過(もっか=黙って見過ご)した。

何のことやら 分らなかったからである。

13-2 信仰の儀式的側面の奇怪さ

私は次のように思索の歩を進めた。

私は自分に言うのだった。

信仰による認識は、理性を具備した凡(おおよ)その人間がそうであるように、

神秘的本源から生れ出る。

この本源こそ 神であり、

それは同時に 人間の肉体ならびに理性の本源でもある。

神からの相伝(そうでん=代々受け継いで伝えること)によって

私の肉体が私のものとなったように、

私の理性と私の人生理解も 私のものとなった。

したがって、人生理解の凡(あら)ゆる発展段階が虚偽(きょぎ)であるはずはない。

人々が真に信ずるものは 全(すべ)て真理に違いない。

それは 色々と違った言い方で表現されはしても、

それが虚偽であるということは あり得ない。

それ故 もしそれが私に虚偽だと思われるなら、

それは 私がただそれを理解していないだけの話である。



更にまた---と私は自分に言うのだった。---

あらゆる信仰の本質は、

死によって滅ぼされることのないような意味を
生に附与するものの中にある。

信仰が 奢侈(しゃし=度をすぎてぜいたくなこと)のただ中で死につつある皇帝、
労働に押しひしがれた老奴隷、物心つかぬ幼児、智慧深き老人、
耄碌(もうろく)した老婆、若い幸福な女、情慾に悩む若者など、

生活状態や教育程度において 実にさまざまな、
ありとあらゆる人達の問いに答え得るためには当然、

そしてまた人生の永遠唯一の疑問《何のために私は生き、
何が私の一生から生れるか?》に対する答えが
よし唯(ただ)一つだとしても、

勿論その本質においては 唯一つであるその答えも
当然無限に多様な外形をとり、

そしてこの答えが唯一つで、真実で、深遠であればあるだけ、
自(おのずか)ら、各人が自分の境遇と教養の度に応じて
それを表現しようと試みるさい 奇妙な、畸形(きけい=奇形)的な形をとる、
ということになるのだ。

---然(しか)し私に信仰の儀式的側面の奇怪さを弁護してくれるこうした考え方も、

やっぱり私自身が 自分の人生における唯一の重大事である信仰に関して、

自分が疑念を感ずるような行動を あえてする気には させなかった。

私も 民衆の信仰の儀式的側面を遂行して、

彼らと融合(ゆうごう)する状態になりたいと、

全身全霊をもって望んだのだが、

やっぱりそれが出来なかった。

私は もしそんなことでもすれば、 自(みずか)ら欺(あざむ)くことになり、

また自分にとって神聖なものを嘲笑(ちょうしょう)することになる と感じたのだった。

でも折(おり)しも私を助けるために、
新しいわがロシヤの神学的著作が 立ち現われたのである。

13-1 人のこの世における課題は、己れの霊を救うこと

私は 我々仲間の生活が 本当の生活と言えず、

ただ そのまね事に過ぎないこと、

我々が住む贅沢三昧(ぜいたくざんまい)な生活条件は、

我々から人生を理解する可能性を奪うということ、

そして 人生を理解するためには、

私は例外的人生、つまり我々 生の寄生蟲をでなく、

素朴な労働階級の生活---生を創り出し、
その生に附与する意味を創り出している人達の生活を理解しなければならない
ということを認めて、我々仲間の生活と袂別(べいべつ=たもとを分かつ)した。

私の周囲の素朴な労働階級といえば、ロシヤ民衆だったので、

私は彼らに、そしてまた彼らが生に附与している意味に眼を向けた。

その意味というのは、言って見れば次のようなものだった。

---万人は神の御旨(みむね=お考え)によって地上に生を享(う)けた。

そして神は人間を、
各人が己れの霊を滅ぼすことも救うことも出来るように創造し給(たま)うた。

人のこの世における課題は、

---己(おの)れの霊を 救うことにある。

己れの霊を救うためには、

神の御旨に従って生きねばならないが、

御旨に従って生きるためには、

あらゆる生の逸楽(いつらく=気ままに遊び楽しむ)を避け、

額(ひたい)に汗して働き、柔和(にゅうわ)に、忍耐強く、慈悲深くなければならない。

---こうした生の意味を 民衆は、聖職者によって、あるいは
彼らの中に生きつづけている古人の遺訓(いくん)によって 彼らに伝えられ
また伝えられつつある教説の中に 汲(く)み取っているのだ。

この意味づけは 私にとって明瞭(めいりょう)で、

また私のハートに親しみやすかった。

然(しか)しこの民間信仰の中の意味づけは、

私がその間に住んでいる我が非分離派信者においては、
私を反撥(はんぱつ)させ、


どうにも説明がつかぬと思わせるような いろんなものと結合させられていた。

聖秘礼、教会の勤行(ごんぎょう)、斎(ものい)み、聖骸聖像への礼拝等々である。

一を他から切り離すことは 民衆に出来ないし、私もまた出来なかった。

民間信仰に入り込んでいるもののうち、

私に奇妙に感じられたものが沢山あったけれど、

私は 何もかも受け容れ、勤行(ごんぎょう)に通い、

朝夕のお祈りをし、斎戒(さいかい=心身を清浄に)し、精進(しょうじん)し、

しかも 最初のうちは私の理性は なんら反撥を感じなかったのである。

前には 私にはとても出来ないと感じられていたまさにその事が、

今では 私の胸中(きょうちゅう)に ちっとも反感を惹起(じゃっき)しなかったのだ。



私の信仰に対する態度は、今や従前のものとすっかり変わったものとなった。

以前には 人生そのものが意味で充満しているように見え、

信仰は 何かまるで私に不必要な、不合理な、
そして人生と繋(つな)がりのない命題の
勝手気儘(かってきまま)な確認だと思われた。

その当時私は、これらの諸命題に どんな意味があるかを自問し、

意味なぞ何もないことを確信して それを放棄した。

ところがいまでは反対に、私の生活が いかなる意味も持たず、

また 持ち得ぬことをはっきりと知り、

一方 信仰命題は 私に不必要なものと見えなかったばかりか、

疑うべからざる経験によって、

ただこれらの信仰命題のみが 
人生に意味を与えるものだという確信に導かれたのである。

以前には 私は信仰命題を、まるで無用な唐人(とうじん)の寝言
(=何を言っているのか分らない言葉)と見ていたが、

今やそれらを理解したとは言えなくとも、

その中に意味があることを知り、

それを理解するように勉強せねばならない 

と自(みずか)らに言いきかせたのだった。

12-3 より善良であること(古人の遺訓)に対する信仰--私は再び生き始めた

いつ、いかにして この大転換が私の内部で生じたかを、
私は 語ることは出来ないであろう。

いつとはなしに、徐々に、私の内部で 生の力が滅んで行き、

早や生きては行けぬ境地に、

生活の停頓(ていとん=ゆきづまってはかどらない)状態に、


自殺を願う心境に陥(おちい)った、

ちょうどそんな風に、徐々に、いつのまにか、

生の力が 私に帰って来たのである。

しかも 不思議なことに、

私に帰って来た生の力は、新しい力でなく、

一番古い---私の生涯の最初の時期に 私を惹きつけた力だったのである。



私は 全(すべ)てにおいて 
最も初期の、幼年時代や青年時代にかえったのだった。

私は 私を創造し、
そして 何かを私に求めているその意思に対する信仰にかえった。

私は 私の生涯の、重要かつ唯一の目的は、

より 善良であるということ、

つまり その意思と調和しつつ生きる ということだという信仰にかえった。

私は その意思の表現を、

私にはさだかなる太古において、
全人類が己(おの)れの指導原理として作り出したものの中に見出しうる
という信仰、即(すなわ)ち 

神に対する、
道徳的完成に対する、
また生の意味を伝える 古人の遺訓(いくん=故人の残した教え)に対する
信仰にかえったのである。

ただ その間の相違は、

以前には 無意識に受け容れられたものが、

今では私は、
それなくしては生きて行くことが不可能であることを知った ということだった。



私には いわば 次のようなことが起きた。

いつか知らぬ間に 私は小舟に乗せられ、

どこかの見知らぬ岸から突きはなされ、

対岸の方向を示して、慣れない手の中に櫂(かい)を持たされ、

ひとりぼっちにされたのである。

私は 出来る限り 櫂を動かして進んだ。

然(しか)し だんだん中流に漕ぎ進むにつれ、

流れはますます速くなって、

私を目的地でない方へ押し流し、

そしてまた、私のように流れに押し流される舟人(ふなびと)達の姿も

ますます頻繁(ひんぱん)に 眼につくようになった。

まだ漕ぎつづけている ひとりぼっちの舟人達もいた。

人々がいっぱい乗っている大きな舟、巨大な汽船もあった。

或る者は 流れに抗し、或る者は それに身を委ねていた。

そして私は 漕ぎ進むにつれ、

全ての舟人達の群列に沿って 下流を眺めながら、

ますます自分に指示された方向を 忘れてしまった。

その群列の真っただ中、

舟や汽船が ひしめき合って 下流に押し流されている中で、

私はもうすっかり方向を見失い、櫂を棄ててしまった。

私の周囲いっぱいに、

帆や櫂をそなえた舟人達が、楽しそうに、はしゃぎ声をあげながら、

下流に向って流れて行き、

これ以外の方向なんか ありはしないと私にも説き、

お互い同士も 頷(うなず)き合っていた。

そして私も 彼らの言葉を信じ、

一緒に流れて行ったのである。

そして 私は 遙(はる)か下流まで、

それにぶつかれば 私も舟もめちゃめちゃになるに違いない岩礁(がんしょう)が
早瀬に唸(うな)っている声がきこえる所まで流れて行き、

またその岩礁に乗り上げて 破滅した小舟達を見た。

その時やっと私は 我にかえったのである。



永いこと 私は、我が身に起きたことの道理が分らなかった。

私には 眼前に、私がそれに向って突進し、しかも

それを恐れているところの滅亡だけが見え、

どこにも救いはなく、

どうしたらいいか 手の施(ほどこ)しようがない といった有様(ありさま)だった。

然し 後ろをふりかえって見て、

私は 無数の小舟が 絶えず執拗(しつよう)に、流れに抗して漕いでいるのを見て、

岸のことを、櫂のことを、示された方向のことを思い出し、

反対の方向に、流れに抗して、

岸の方へ 漕ぎ出ようとし始めたのだった。



岸辺---これは神であり、

その方向---は先人の遺訓であり、

櫂---これは私に与えられた、岸に漕ぎつける自由---つまり
神と合体する自由だった。

こうして 生の力が私の中に蘇(よみが)えり、

私は再び生き始めたのである。

12-2 こうして私は 自殺からまぬがれた

神は 私の探求、絶望、あがきを知り、かつ 観(み)ている。

《神は存在するのだ》 と私は自分に言った。

そして そのことを一瞬 認めさえすれば、

ただちに 私の身内に生命力が高まり、

生存の可能と歓喜を感ずるのだった。

然(しか)し私は 再び 神の存在の承認から

神との関係の探索に移行し、そして再びあの神が、

子なる救世主を地上に遺(のこ)した三位一体(さんみいったい)の神の姿が現れる。

そして再び この世界から、私から隔絶(かくぜつ)した神は、

氷塊(ひょうかい)のように 私の面前で溶け去り、

再びなんにも残らなくなり、 

再び生命の泉が涸(か)れるのだった。

そこで私は絶望に陥(おちい)り、
自殺する以外 何もすることがない と感ずるのだった。


しかも 何よりもいけないのは、その自殺するということすら
私には 何も出来ないということを感じたことだったのである。



二度や三度でなく、何十回何百回と 私はこうした状態、

喜びと生気につづく絶望と生存不可能の意識の繰り返し といった状態に陥った。



忘れもしない、それは早春のことであったが、

私は一人 林の中にあって、

その林の中の 種々の物音に 耳を傾けていた。

私は 耳を傾けながら、

この三年間 絶えず常に ただ一つのことを考えて来たように、

ただ一つのことを考えていた。

私は 再び神を探していたのだ。



《よろしい、神などというものは 存在しない---と私は自分に言うのだった

---私の単なる表象(イメージ)でなくて、私の全生活のような実在としての神、

といったものは 存在しない。そして何者も、いかなる奇蹟も、

そのようなものの存在を証明することは出来ない。

なぜなら 奇蹟も私の表象であり、のみならず不合理な表象ですらあるのだから。》

《然しながら私のこの神の観念は?---と私は自問した。

---この観念は どこから生じたのか?》 そしてこの事を考えるや、

再び私の内部に喜ばしい生の波動が高まったのである。

私の周囲のものが 何もかも活気を帯び、意味を持ち始めた。

それでも 私の喜びは永くつづかなかった。

やっぱり 理智が活動をつづけたのだった。

《神の観念は---神ではない》と私は自分に言った。

---《観念というものは 私の心中に生ずるもの、

神の観念は、私が自分の心中に喚起(かんき=呼び起こす)することも
しないことも出来るところのものなのだ。

それは 私が探し求めているものではない。

私は、それなしでは生きて行くことが出来ないもの、

そんなものを探しているのだ。》

そして再び私の周囲のものや、私の内部のものが、

何もかも滅び始め、再び私は 自殺を想うのだった。



然し その時私は 自分自身をふりかえり、

自分の中に生ずるところのものをふりかえり、

そしてこの何百回となく私の中に生じた 
滅びと蘇(よみがえ)りのくりかえしを思い起こした。


私は 自分がただ、神を信じている間だけ 生きていたことを思い起こした。

昔そうであったように 今も、神を認めさえすれば私は生き、

神を忘れ、神を信じなくなった瞬間に 私は死んだといってよかった。



この蘇生(そせい)感と 死滅感は 一体 何を意味するのだろう?

私は 神の存在への信仰を失うや、生きていないも同然だった。

もしも私に 神を見出すという、

はっきりしないけれど ある期待がなかったら、

とっくに 自殺していたにちがいない。

私は神を感じ、神を求める時、そんな時だけ生きる、

まぎれもなく生きるではないか!

では一体 私は外(ほか)に何を求めているのか?
---と私の内部の声が叫んだ。


---そら、これが神だ。

神とは、それなしには生きて行けないところの そのものなのだ。

神を認めることと生きること、
---それは 同義語である。

神は 生命である。




神を探し求めつつ生きよ。

さすれば 神のない生活の生ずる いわれ(=理由)はない。

かくて 私の内部 及び周辺において、

全(すべ)てが 未(いま)だかつてなかったほど明るく輝き、

そしてその光は もう決して私を離れなかった。

----- こうして 私は自殺からまぬがれた。

12-1 私が存在する以上、その原因がある。そのすべての原因というのが神と呼ばれるもの

理智的学問の犯す錯誤に気づいたことが、

私を 益なき思弁に耽(ふけ)る誘惑から遁(のが)れしめる助けとなった。

真理の認識は、ただ実生活を通じて獲得される という確信が、

私を 自分の生活の正しさに疑念を持つよう刺戟(しげき)した。

然(しか)し私を救ったものはただ、
私が除外例的な立場から脱(ぬ)け出て、素朴な労働生活の真の生活を見、

そしてこれこそまさに真の生活だ と悟ったことであった。

私は もし自分が生と生の意味とを理解したいと思えば、

寄生蟲(きせいちゅう)的生活でなく 真の生活を送り、

真の人類が生に附与しているその意味を受け容れ、

その生活にとけ込んで、それを吟味しなければならぬことを悟った。



その頃 私に次のようなことが生じた。

その年の間中、私が殆(ほとん)ど毎瞬(まいしゅん)ロープか銃で
一思いにおさらばすべきではないかと自問していた間中、

さきに述べた思索と観察の歩みとならんで、

私のハートは 遣瀬(やるせ)ない感情に悩んでいた。

この感情を私は、神の探求とより外に名づけることは出来ない。



私はあえて言う、この神の探求は 智的考察でなく、感情の働きだった、と。

なぜなら この探求は、私の思索の歩みから流れ出たものでなく、

---それは寧(むし)ろ、思索の歩みと真向(まっこう)から対立した---

ハートから流れ出たものだったからである。

それは 孤児になることを恐れる感情、他人のただ中での孤立を恐れる感情、

誰かの助けを期待する感情だった。



神の存在の証明が 不可能であることは 重々確信しているにもかかわらず

(というのは、カントもそれを証明することが不可能なことを私に証明してくれたし、

私にも 彼の説くところが よくのみこめたのだ。)

私はやっぱり神を探し、神を発見することを期待し、

昔の頃の習慣で、自分が探し求め、

しかも発見出来ないでいるその者に 祈りを献(ささげ)たのだった。

私は 神の存在証明の不可能性に関する カントやショーペンハウエルの論拠を

幾度も思い浮かべたり、かと思うと それらの論拠を吟味し、

それを反駁(はんばく=反論)し始めたりした。

因果律(いんがりつ)というものは---と私は自分に言うのだった。

--- 空間や時間みたいなそんな思惟(しい)の範疇(はんちゅう)ではない。

私が存在する以上、その原因があるし、

その原因の原因がある。

そして この全(すべ)ての原因というのが、神と呼ばれるものなのだ。

こうして私は その想念(そうねん)を噛みしめ、

自分の全存在をもって その原因の実在を感じ取ろうと努めた。

そして私が その支配下におかれているところの力があることを意識するや、

直(ただ)ちに 生の可能性を感ずるのだった。

然し私は《一体 その原因、その力というのは何か?自分が神と呼んでいるものを
どう考え、またそれに どう対したらいいのか?》と自問する。

すると《彼は--創造する者、恩寵(おんちょう)を垂(た)れる者》

といった陳腐(ちんぷ)な答えが 頭に浮かぶのだ。

これらの答えは 私を満足させなかった。

そして私は 

自分の中で、生きて行くのに欠くことの出来ないものが滅んで行くように感じた。

私は 恐怖に襲われ、自分が探している者に、
私に力を藉(か)してくれるよう 祈り始めるのだった。

しかも 祈れば祈るほど、ますます私には、彼が私に耳をかさず、

もともと訴ゆべき何者も存在しないのだ ということが明瞭になった。

そして 結局とどのつまり 神は存在しないのだ という絶望を胸に懐(いだ)きながら

《主よ、我を憐(あわ)れみて 救い給(たま)え!
主 我が神よ、我に教え給え!》と唱(とな)えた。

然し 誰も私を憐れんでくれず、

そして私は 自分の生が 停頓した(ていとん=ゆきづまる)のを感じた。



然し私は くりかえしくりかえし、いろんな他の方面から、

私が何の機縁(きえん=きっかけ)も原因も意味合いもなく

この世に現れるはずがない ということ、

自分は何だか巣から落ちた小鳥みたいな気がするけれど、

そんなはずはない ということを認める境地に帰るのだった。

よし 巣から落ちた小鳥である私が、
丈高い草の中に 仰向けにころがって ピーピー鳴いているとしても、

私がピーピー鳴くのは、母鳥が私を生み、

巣の中で温(あたた)め、養(やしな)い、

いつくしんだ ということを知っているからこそである。

彼女はどこにいる? その母鳥は?

もし私を巣から叩き落としたとすれば、

誰が叩き落としたのだろう?

私は 何者かが私を、愛するが故(ゆえ)に 生んだ 

ということを知らないでいる訳には行かない。

この何者か とは誰であろう? --- やっぱり 神ではないか?

11-3 主人なんてものは居やしなくて、悧巧なのは自分達である

もしも 裸の飢えた乞食を 町角からつれて来て、

素晴らしい建物の、屋根で蔽われた一つの場所につれて来て、

食物や飲物を与え、何か棒みたいなものを上下に動かすように命じたなら、

何のために彼をつれて来たのか、
何のために棒を動かすのか、
その建物全部の構造は 合理的かどうか、などと詮議(せんぎ)立てするより前に、

その乞食としては何はさておき その棒を動かさねばならぬ ということは明らかである。

もし彼が棒を動かせば、
彼はその棒がポンプを動かすこと、ポンプが水を吸い上げること、
水が畠(はたけ)の畝(うね)に沿って流れることが分るのだ。

その時彼を、その屋根のある井戸からつれ出して、別の仕事へ就ける。

そして彼は果実を集め、自分の主人の喜びに参入し、
低い仕事から高い仕事に移動するにつれ、

ますます建物の全構造を広く理解し、またそれに参入し、
どうして自分はここにいるのかなど 決して訊(たず)ねようとも思わぬし、

また主人を非難したりすることは さらさらないのである。



かくて主人の意思を遂行(すいこう)する人達、素朴で勤勉で無学な人達

---我々が 家畜同然に見なしていた人達は、主人を責めることをしない。
(参照8-1 生命の常識

ところが 我々智慧者達は、主人のものを何でも食べるのだけれども、

主人が自分達に要求することは何もしないで、

何かやる代わりに 車座になって、

《何のため棒なんか動かすんだ?馬鹿々々しいじゃないか》などと論じたりする。

こういったことを考える始末であるが、そのあげく とうとう、

主人は愚かであって、あるいは 主人なんてものは居やしなくて、

悧巧(りこう)なのは 自分達である、 というまでに飛躍する。

ただそれにしても 我々自身も何の役にも立たず、

何とか自分自身から のがれねばならない と感ずるのだ。 

11-2 富裕なる有閑無為な我々は 狂人だということを悟った

もしも自分の生涯を 拷問や 断首に過してきた死刑執行人とか、

ぐでんぐでんの よっぱらいとか、

あるいは一生涯 暗い部屋に坐っていて、
この部屋を汚し、この部屋から出たが最後 自分は滅びてしまう
と想像している狂人とか、

--- そういう人が 

生とは何か?


を自問したら どうなるだろう?

明らかに彼は この問いに対して、

生とは最大の悪である、とより外の答えを得ることは出来まいし、

またその狂人の答えは 完全に正しくもあろうが、

ただそれは 狂人自身にとってのみである。



私もそうした風の狂人だったらどうだろう?

我々みんな、富裕なる有閑無為な人達は、

そうした狂人だったらどうだろう?

いや、私は、我々が 事実そうした狂人だということを悟った。

この私はもう、間違いなくそうした狂人だったのだ。



実際のところ、

鳥は翔(と)び、食べ物を集め、巣をつくらねばならぬように出来ている。

それで 鳥がそうするのを見れば、

彼らの喜びは そのまま 私の喜びと感ぜられるのである。

山羊(やぎ)や兎(うさぎ)や狼(おおかみ)は、

食をあさり、繁殖(はんしょく)し、

仔を育てるように出来ている。


で 彼らがそれをやる時、

彼らが幸福で、彼らの生き方が合理的であるという
確固たる意識が 私にあるのである。



では 人は何をなすべきか?

人も 動物と同様 生活のために稼がねばならないが、

ただ 彼が一人で稼ぐなら 滅びてしまうという違いがある。

彼は 自分のためにでなく、

万人のために 額に汗せねばならない。

そこで彼がそうするなら、

彼は幸福で、彼の生活は合理的であるという、
確固たる意識が私に生ずるのである。



自分の物心ついて以来の30年間に 私は何をやって来たか?

私は 万人の生活のために稼がなかったばかりか、

自分のためにすら 稼がなかった。

私は 寄生蟲的な暮しをやり、

何のために自分が生きているのかと自問して、

何のためでもない という答えを得た。

もし 人間の生活の意味が 生活のために額に汗することにあるならば、

30年間も 生活のために稼ぐことなく、

寧(むし)ろ 自分や他人の中の生活を滅ぼしていた私が、

自分の生活は無意味であり 悪である という答え以外の答えを

どうして受け取ることが出来ただろう--- 

---私の生活は実際 無意味でああり 悪であったのだ。



全世界の生活は、誰かの意思によって行われている。

---誰かが 全世界の生活と、我々の生活でもって、何か自分の仕事をしている。

この意思の意味を悟ろうという希望を持つためには、

何よりも先(ま)ず、その意思を遂行(すいこう)すること、

その意思が 我々に求めるものを為(な)すことが必要である。

もし私が 自分に求められるものを為さなければ、

自分が何を求められているかが 決して分らないだろう。

況(いわん)や 我々全部が、

全世界が何を求められているかは、もっと分らないであろう。

11-1 私の生活--肉欲奉仕の生活--は悪であり無意味であった

そこで私は、それらの信仰が、

その信仰に反した生活をしている人達から説かれる時には反撥を感じ、
またナンセンスであると思われ、

一方 まさに同じその信仰が、
人々がその信仰によって生活をしているのを見た時は 私を惹きつけ、

また合理的なものに思われるという事を思い出して、
---なぜ私があの頃 これらの信仰を放棄し、またなぜ無意味なものと感じたか、
そして今では それを受け容れ、また意味深いものと感じているのかが分った。

私は 自分が迷っていた事、そしてまた なぜ迷うに至ったかが分った。

私は 自分が正しくない考え方をしたから迷った というよりも、

私の生活がいけなかったから迷ったのであった。

私は 自分の思想の迷いが、私に真理を蔽(おお)いかくしていたというよりも、

私が過していた あの例外的条件下の、快楽主義的な、

肉欲充足に向けられた生活そのものが そうしていたということが分った。



私は、我が生とは何か? との問いに対して、

答えは、悪! というのは 全く正しいことが分った。

正しくないのはただ、自分だけにあてはまる答えを、

私は みんなの生活にあてはめていた事だった。

私は 自(みずか)ら 我が生とは何か? を問い、

悪であり ナンセンスである という答えを得た。

そして実際、私の生活---肉欲奉仕の生活---は

ナンセンスであり 悪であったし、

それ故 《生は悪であり無意味である》 という答えは、

私の生活については言えるけれども、

人類一般の生活について言えることではなかった。



私は後で 自分が福音書の中で発見した
《人々光よりも多く暗を愛せり、彼等の行ないの悪かりし故なり》という真理を悟った。

《蓋凡そ不善を作す者は光を悪みて、光に就かず、
彼の行の尊められざらん為なり》(註、ヨハネ第三章)

私は、生の意味を悟るために、まず第一に 
その生が 無意味であったり、悪であったりしないこと、

そしてその後で、
その意味を理解するための理性が必要であることを悟った。



私には なぜ自分がそんなに永い間、

こんなに明白な真理のまわりを うろうろしていたかということや、

人類の生活について考えたりしゃべったりするのなら、

飽くまで 人類の生活についてそうすべきで、

少数の 生の寄生蟲(きせいちゅう)について 
そうすべきでない ということがわかった。




この真理は、2*2が4であるように、

いつも変らぬ心理だった。

でも 私はそれを認めなかった。

なぜなら 2*2は4を認めると、

どうでも私は、自分がよくない人間であることを認めねばならなかったからである。

私にとって 自分がよい人間であると感ずることは、

2*2は4を認めることより大事で 必要なことだったのだ。



ところで私が善良な人々が好きになるや、

自分がいやになり、

そして 私は 真理を認めるようになった。

今では 何もかも 私にはっきりして来たのである。

10-3 生きて行くのが容易になって来た

我々の仲間においては、

静かな死、恐怖も絶望もない死 というものは、

それこそ稀(まれ)な例外であるのに反して、

民衆の間では、

静かでない、従順でない、喜ばしくない死の方こそ

非常に稀な 例外だった。

こうした人達、私やソロモンのような人にとっては

それのみが この世の幸福であるようなものを 何一つ与えられず、

しかも そこに最大の幸福を味わっている といった人達は、

---それこそ莫大な数にのぼった。



私は 更に広く 自分の周囲を見廻した。

私は 過去及び現代の、非常に莫大な数の民衆の生活を眺めて見た。

そして そんな風に生の意味を悟った、
生き かつ 死するすべを弁(わきま)えた人々が、

2百万や 3百万や 千万でなく、
何億 何十億といることを知った。

そして彼ら、気質、智能、教養、境遇において千差万別(せんさばんべつ)の人々が

みんな一様に、私の無識(むしき=見識や知識のないこと)と反対に
生と死の意味を知り、静かに勤労し、困苦欠乏(こんくけつぼう)に堪え、
そこに虚無でなく 善を認めながら生き かつ死んで行ったのである。



そこで私は こうした人々が好きになった。

私が彼らのうちの生きた人達の生活と、

それについて読んだり聞いたりしたところの、

今は亡き人達の生活を吟味(ぎんみ=念入りに調べること)すればするほど、

私は ますます彼らが好きになり、

私自身も生きて行くのが だんだん容易になって来た。

こうして 二年ばかりすごすうちに、私の中に 大転換が生じた。

それはもうずっと以前から私の中に用意されていたのであり、

その素質は かねがね私の中にあったものである。

つまり 我々仲間--- 富裕な、学問ある---の生活が
私にとって忌(い)まわしくなったばかりでなく、


すっかり意味を失ってしまうという事態が生じたのである。

あらゆる我々の活動、思索、学問、芸術

--- こうしたものが ことごとく私にとって今までと違った意味を帯びて来た。

私には およそそんなものは児戯(じぎ=幼稚なこと)にひとしく、

その中に意味を求めることなど出来はしない ということが分った。

生を創造して行くところの、全勤労大衆の、全人類の生活は、

私にとってその本来の意味を帯びて現れて来た。

そして私は、これこそまさに生活そのものであり、

この生活に与えられる意味こそ真理であると悟り、

その真理を受け容れたのである。

10-2 全人類が生きることの出来たかげに--真の信仰が存在

全人類が生きることの出来たかげには、

全人類が生活に意味を附与しながら それを続けて来たことのかげには、

---これら幾十億の人々の許(もと)に もっと違った、

真実の信仰認識があるはずである。

そもそも 私やソロモンやショーペンハウエルが自殺しなかったということ、

それが私に 信仰の実在を肯定させたのでなく、

これら幾十億の人達が生きて来たし 生きており、

私やソロモンのような人達を、己れの生の波間にただよわせた、

ということが そうさせたのではないか。



そこで私は 貧しく素朴で 無学な人々の中の信仰家

---巡礼、修道僧、異端派、農民 といった人達に接近し始めた。

民衆出身のこれらの人々の信仰も、
我々仲間の偽信仰家と同様に 基督教の信仰だった。

彼らの場合もまた、基督教の真理に非常に多くの迷信が混入されていたが、

ただ 次のような違いがあった。

即(すなわ)ち、我々仲間の信仰家には 迷信など全然必要でなく、
それが彼らの生活と編み合わされておらず、
ただ 彼らなりの快楽主義的 気慰(きなぐさ)めにすぎないのに、

労働階級の信仰家の場合は、
それが彼らの生活と しっかり編み合されていて、
そうした迷信のない彼らの生活は 想像することも出来ない

---つまり 迷信が その生活の不可欠の条件だったのである。

我々仲間の信仰家の全生活は、 彼らの信仰への背反(はいはん)だったが、

信仰し、そして額(ひたい)に汗する人々の 全生活は、

その生の意味を附与する信仰認識の確証だった。

そこで私は、これらの人々の生活と信仰を見詰め始め、

見詰めれば見詰めるほど、

彼らには 真の信仰が存在するということ、

彼らの信仰は 彼らに不可欠のもので、

それのみが 彼らに生の意味を与えているのだということを確信した。



信仰のない生活が可能で、
千人の中 一人も自分を信仰家と認める者がいるかいないかの
我々仲間の中で見たものと反対に、

彼らの中には 千人の信仰者の中に
一人の不信仰者が いるかいない程度だった。

全生活が 遊惰(ゆうだ)と安逸(あんいつ)と、生への不満のうちに過ぎて行く
我々仲間の中で見たものと反対に、

これらの人々の全生活は 苦しい労働に明け暮れ、

しかも彼らは その生活に 満足しているのだ。

我々仲間の人達が、欠乏や苦悩の運命に反抗し、
それに憤慨(ふんがい=ひどく腹を立てること)するのに反して、

これらの人々は 病いや悲しみを 

ちっとも不思議と思わず、あらがいもせず、

それらを全て善であるという静かな鞏固(きょうこ)な信念をもって
受け容れるのだった。

我々が 賢ければ賢いほど、 ますます生の意味が理解出来ず、

自分達が苦しんだり 死んだりする事に

何か 意地の悪い嘲笑を感ずるのに反して、

それらの人々は 生き、苦しみ、死に近づき、

しかも平静に、何よりもしばしば喜びをもって苦しみに耐えているのだった。

10-1 欠乏・苦悩・死を恐れる我々仲間の信者達

こうした事を理解するようになったが、

でもそのため 気が軽くなりもしなかった。



私は もしそれが真向(まっこう)から理性を否定することを要求しなければ
(それを要求すれば虚偽に違いない故)

どんな信仰でも受容する気持ちになっていた。

そこで私は 仏教やマホメット教を書物の上で、
何よりも基督教を 書物や、また私を囲む現に生きている人々を通じて研究した。



自(おのずか)ら 私の眼は 
我々仲間の信者達に、学識ある人達に、
正教の神学者達に、修道院の長老達に、新傾向の神学者達に、

更には贖罪(しょくざい=神の子キリストが十字架にかかって
犠牲の死を遂げることによって、人類の罪を償(つぐな)い、
救いをもたらしたという教義)を信ずることによって救われるとする
いわゆる新基督教徒たちにすら向けられて行った。

そこで私は これらの信者達をつかまえて、

彼らがどんな信じ方をしていて、

また何に人生の意味を見出しているのかを こまごまとたずねた。



私は 能う(あたう=できる)限りの譲歩をし、

一切論争などしないように努めたにもかかわらず、

彼らの信仰を受け入れる事は 出来なかった。

私には 彼らが 信仰と称するものが、

人生の意味の解明でなく、

寧(むし)ろ 隠蔽(いんぺい)であること、

そしてまた 彼らが自分の信仰を表白(ひょうはく=考えや気持ちなどを、
言葉や文章に表して述べること)するのは、

私を信仰に引き寄せたところの 人生問題に答えんがためでなく、

何か別な、

私と関係のない目的のためであることがわかった。



これらの人達との交渉において、

何度も何度も経験した期待が裏切られた後の、

又ぞろ従前の絶望に逆もどりだという、

あの 堪え難い恐怖の感情を 今でも忘れない。



彼らが私に、自分の信仰をあれこれと、

また こまごまとまくし立てれば立てるほど、

私は 彼らの迷妄(めいもう=道理がわからず、
事実でないことを事実だと思い込むこと)と、

彼らの信仰の中に 
人生の意味の解明を見出すという私の期待の空しさを

はっきり見て取るのだった。



彼らが自分の信仰の講釈の中で、
いつも私になじみ深かった基督教の真理の中に、
外(ほか)の色々の不必要で不合理な事柄を混入させたというのでなく、

--その事が私を反撥(はんぱつ)させたというのでなく、

これらの人々の生活が 私とまるで同じで、

ただその相違というのが、
彼らの生活が 彼らが自分の信仰講釈の中で述べる原理その物と
矛盾しているということにあるという、その事が 私を反撥させるのだった。



私は 彼らが自らを欺(あざむ)いていること、

そして彼らも 私と同様に、

生きている間は生き、手に入るものは何でも手に入るということの外に、

何ら生の意味を持ち合せない ということを はっきりと感じた。

私にそれが分ったのは、

もし欠乏や苦悩や死の恐怖がなくなるような意味を 彼らが摑(つ)かんでいるのなら、

彼らは そんなものは恐れなかったろうからである。

彼らは、我々仲間の信者達は、

ちょうど私と同じように、何不足なく、あり余った生活をし、

ますます富を増大 維持しようとつとめ、

欠乏と 苦悩と 死とを恐れ、

そして 私や全ての我々不信者仲間と同様に

もろもろの情慾(じょうよく)を満たし、

不信者に較(くら)べてもっと邪悪な と言えなくとも、

同じくらい邪悪な生活を送っているのだった。



どんな理窟も、彼らの信仰の真実性を 私に確信させることは出来なかった。

私にとって恐ろしい貧困、疾病、死が、
彼らにとって恐ろしくなくなるような、
そんな人生の意味が彼らの所にあることを示す如(ごと)き実践のみが、
私を首肯(しゅこう=納得し、賛成すること)させたであろう。

然しこうした実践を、

私は これら我々仲間のいろいろな型の信者達の間に見出すことがなかった。

反対に 私はそうした実践を、
我々仲間でも 最も不信仰な人々の間に見出したほどで、

我々の仲間 いわゆる信仰者達の間には、まるで見出すことがなかった。



そこで私は、これらの人々の信仰は、
私が探し求めているところの信仰ではないということ、

また彼らの信仰は どだい信仰ではなく、

人生における単なる一個の快楽主義的慰安にすぎぬ ということを悟った。

私はまた、この信仰は多分、臨終の床で悔い改めているソロモンにとって、

慰安とまで行かなくても、若干の気晴らしには役立つかもしれないが、

然し他人の労苦を利用して 自分は面白おかしく暮すという運命になく、

自ら生を造り出さねばならない莫大な人類の大部分にとっては、

何の役にも立ち得ないことが分った。

9-3 ショーペンハウエルやソロモンの立場は、愚劣なものであることを悟った

経験科学の中に解答を探していた時、

私はどんなことをしたか?

私は何のため自分が生きているのかを知りたく思い、

そのために 自分の外部にあるものを 何もかも研究した。

これで私は 色々多くの事を知ることが出来たにしても、

私に必要なものは 何も知ることが出来なかったのは きまり切ったことである。



では 私が解答を哲学的な学問の中に探し求めた時、 どんな風にやったか?

私は、自分は何のために生きているのかという問題に対する答えを持たぬこの私と、

まるで同じ状態にある人々の思想を研究した。

だから、私は私自身が知っていること--- つまり 何も分りはしないということの外、

何も分らなかったのは自明(じめい=証明などしなくても明らか)のことである。



我とは何ぞや?

無限の一部である。すでにこの無限と一部という二つの言葉の中に、
全課題が横たわっている。



こうした問題を、人類は 果してほんの昨日から自分に課したのであろうか?

果して私の前には 誰もこの問題を---まことに簡単な、賢い子供なら

どの子も口に出しそうなこの問題を、自分に課した者はなかったろうか?



この問題は 人類が生存して以来、ずーっと問われて来たし、

そしてまた人類の生存以来、この問題の解決のためには、

有限を有限と照合しても、無限を無限と照合しても、

共に不充分だと分っていたし、

また人類生存以来、有限なるものの無限なものに対する関係が
探求され 表現されているのだ。



ところで、その中で有限が無限に照合されて、生の意味が生じて来るといった

これら全ての理念、神・自由・善 といった理念を、

我々は 論理的研究の対象にする。

そうすれば これらの理念は、理性の批判に堪えないということになる。




我々が どんなに高慢と自己満足をもって、子供が時計を分解して
中からゼンマイを引き出し、それを玩具にして、
そのあげく時計が動かなくなったといって びっくりする、といった、
まるでそんな風な事をやらかしているのを見るのは、

それがああまで恐ろしい事でさえなければ、むしろ滑稽だろうと思うのである。



有限なものと無限なものとの矛盾の解決や、

それあって初めて生きる事が可能となるような人生問題の解答は、

まことに必要かつ貴重 と言わねばならない。

だのにこの、到る所、あらゆる民族の中に 我々が発見する唯一の解決、

我々にとって人類生活が もう姿を没しているくらいの太古から齎(もたら)された解決、

非常に困難で、我々にはその真似事も出来そうにないような解決

---そうした解決を 我々は軽率に破壊し、

そして又ぞろ 誰もの胸中にある、
そして我々が答えを持ち合わせていない疑問を持ち出す始末なのだ。



無限なる神、霊の神性、人の業(わざ)と神との結合、霊の本質、

道徳的善意に対する人間的理解等々の観念は、

人間の思想の杳(よう)とした無限の中でつくられたもので、

それなくしては 生も、また私自身も存在しないであろうところのものなのに、

私は これら全人類の辛苦の所産を放擲(ほうてき=投げ出す)して、

自分だけで新しく、自己流に それをつくり上げようと欲するのだ。



私は当時 そんな風なことを考えた訳ではないが、

そうした考えの萌芽(ほうが)は すでに私の中にあった。

私はまず第一に、私やショーペンハウエルやソロモンの立場は、

我々のすぐれた智慧にもかかわらず 愚劣なものであることを悟った。

というのは、我々は 生が悪であることを理解しながら、

やっぱり生きているからである。

これは 明らかに愚劣 と言わねばならない。

なぜなら、もし人生が愚劣なものであれば、
--私は合理的なものを大恋愛しているのだから--

その生を 滅せばいいので、
それを誰かに向って否定して見たりなど 余計なことであるから。

更に 第二に私は、全ての我々の判断は、

シャフトに噛み合わぬ車輪のように、

魔法の輪の周囲をぐるぐる廻っていることを理解した。

どんなに色々と、またどんなにうまく判断して見ても、

我々は 問題に対する解答を得ることが出来なくて、

いつも0イコール0になるから、多分我々の進む道は間違っているに違いなかった。


第三に私は、信仰によって与えられる解答の中に

最も深い人類の智慧がかくされていて、

私は 合理性を盾に それを否定する権利がない ということ、

これらの重大な答えだけが 人生問題に答えているのだ

ということを 理解し始めていた。

9-2 信仰というのは一体なんだろう

合理的な知識は私を、生の無意味さの承認に導いて、

私の生活は停滞し、私は 自殺を願うようになった。

周囲の人々を、全人類を見廻せば、

みんながちゃんと生きていて、

生の意味を知っていることを証拠立てているのが分った。

自分自身を顧(かえり)みれば、
私は生の意味を知っている間だけ生きて来たのだ。

外の人の場合と同様に、私にも信仰が 生の意味とその可能性とを与えたのだった。



更に歩を進めて、外国の人々、また同時代人や過去の人達を眺めても、

私は全く同一のことを見た。

生のあるところ、そこには 人類始まって以来 いつも信仰があり、

生の可能性を与えている。

そして 信仰の主要な特徴は、古今東西問わず 同じようなものである。



どんな信仰が 誰にどんな解答を与えようと、

信仰が与える解答はみんな、有限な存在である人間に無限なる意味

-- 苦悩や欠乏や死によって滅ぼされる意味を与えるのである。

即ち-- ただ信仰の中にのみ 生の意味と可能性とを見出すことが出来るのだ。

この信仰というのは 一体何だろう?

こう問うて見て、私は次のことを悟った。

つまり信仰とは、単に眼に見えぬもの その他を開示して見せることでもなく、

あるいは啓示でもなく(これは信仰の一特徴の単なる記述にすぎぬ)

人間の神に対する関係でもなく(最初に信仰を規定し、
その後で神を規定せねばならないので、神を持ち出して信仰を規定してはいけない)

更にまた 人が説くところのものに賛成する(信仰というものが
最もしばしば誤解されているように)ということのみでなく、

--- 信仰とは その結果 人が自殺しないで生きて行くところの、
人生の意味についての認識である、ということである。

信仰とは 生の力である。

人間が生きて行くのは、彼が何かを信仰しているからなのだ。

もし彼が、何かのために生きる必要があることを信じないなら、

生きて行けないであろう。

もし彼が有限なるものの夢幻性を理解するならば、

彼は 無限なものを信じなければならない。

信仰なしでは どだい 生きて行けはしないのだ。



そこで私は、自分の内的苦悩の全過程を想い出して おじ気をふるった。

今や私には、人が生きて行けるためには、無限なものを見ないでいるか、

あるいはそこでは有限なものが 無限なものと並び立つ如き地盤の上での、

人生の意義の説明を持たねばならぬ ということがはっきり分った。

そうした説明解釈を私も持っていた。

しかしそんなものは 私が有限なものを信じている間は必要でなかったので、

私は 理性でもって それを検討し始めた。

その結果 従来の説明は 理性の光の前で 雲散霧消した。

然し 私が有限なるものを信じなくなる時が来た。

そして その時私は 合理的な基礎の上に、

自分が学んだところのものから 
生に意味を与えるような説明解釈を打ち建てようとしたが、
何も打建てることが出来なかった。

人類の中の卓越した智者達と共に、

私は 0は0に等しい といったところに辿(たど)りつき、

もともとそうした結論になる外はないのに、

そうした結論を眼の前にして 大いに驚いたのである。

9-1 信仰が生きることを可能にしている

かくて生じた矛盾、その矛盾からのがれる道は二つだった。

私が合理的 と呼んだところのものが、
私が思ったほど合理的なものでなかったか

あるいは 私に非合理的と見えたところのものが、
私の思ったほど非合理的でなかったかということである。

そこで私は 自分の合理的見解に達した判断の過程の検討を始めた。

合理的見解の判断過程を検討して見て、

私はそれが 完全に正しいことを発見した。

人生が無に等しい という結論は 避け難いものであった。

でも私は 一つの誤謬(ごびゅう=まちがい)に気がついたのである。

その誤謬というのは、
私が、自分の提起した問題に呼応して物事を考えなかった ということだった。

問題はこうだった。
--なぜ私は生きるのか?即ち、私の幻影的な、
いつか滅び去る生から、どんな真実な 不滅なものが生ずるのか?
--この無限の世界における私の有限な存在に どんな意味があるのか?

この問題に答えるために 私は人生を研究し始めた。



ありとあらゆる人生上の諸問題の解決も、

明らかに 私を満足させ得なかった。

なぜなら 私の問題は、最初は大変簡単なようだけど、
実は有限なものを 無限なものによって、
あるいはその逆に説明せよ という要求を含んでいるからである。



私が問うたのは、

私の生の、
時間を超え因果律(=すべての事象は、必ずある原因によって起こり、
原因なしには何事も起こらないという原理)を超え、
空間を超えた意味は どんなものか?

と言うことだった。

ところが私が答えたのは、

私の生の、
時間と因果律と空間における意義如何?
如何(いかに=疑問をあらわして”どんなであろうか?”)

という問題に対してだった。
そこで長いこと苦しい思索を重ねた後で、
皆無! と答える始末だったのである。



自分の考察において私はいつも、

そうより外に 出来もしなかったが、

有限なものを有限なものと、無限なものを無限なものと比較対照した。

そこで私には ごく当然の結論が生じた。

即ち 力は力であり、物体は物体であり、意思は意思、
無限は無限、皆無は皆無、

-- それ以上の結論の生れようはずはなかった。



ちょうど数学で 方程式を解こうと思いながら、
恒等式を解いているといった場合に似たことが起きた。

思考過程は正しいのだが、
その結果得られる答えは、a は a に、あるいは X は X に、
あるいは0は 0 に等しいということである。

我が生の意味如何? 
という問題に関する私の考察にも、
それと同じことが生じた。

この問題に対して、全ての学問が与えるところの答えは、
ただ 恒等式に外ならなかったのだ。



また実際、厳格な学問的な知識、デカルトがやったように
あらゆるものを全面的に疑うことから始め、
あらゆる信仰に基づく知識を棄て去って、
全てを新しく 理性と経験の法則に基づいて打ち立てるところの知識は、

私が受け取った答え、
つまり未知数の答え以外のものを人生問題に対して与えることは出来ないのである。

私には ただ最初のうち、その知識が既知数的な答え、
つまりショーペンハウエルの
《人生に意味はなく、それは悪である》
という答えを与えたものと思われた。

でも真相を吟味して見て、私はこの答えが既知数でなく、

ただ私の感情が それをそう思わせたにすぎないことを悟った。

厳格に言い表わされたその答えというのは、

ちょうどブラーマン教徒やソロモンのような人や
ショーペンハウエルによって言い表わされているように、
ただ未知数的な答え、換言すれば に等しいという、

生は皆無である という恒等式にすぎなかった。

かくて哲学的学問は 何物も否定しないで、

ただこの問題は彼には解けず、
彼にとっては解決はいつまでも未知数のままだ と答えるだけである。



この事が分って私は、私の問題に対する答えを
合理的知識に求めてはいけないこと、

合理的な知識によって与えられる答えはただ、

解答は問題の立て方を変えた時に、
ただ考察の中に有限なものの無限なものへの関係
という問題が取り入れられた時に与えられるということを示すだけだ
ということを理解した。

私はまた、信仰によって与えられるという解答が
いかに非合理的でまた奇怪であっても、
それは答えの中に、
それなしでは答えが不可能なところの、
有限の無限に対する関係を導入するという長所があることも理解した。



どんな風な問題の立て方をしても、

例えば、私は如何に生くべきか?なら
-- 答え、神の掟(おきて)に従って。

私の生からどんな真実なものが生れるか?なら
-- 無限なる神との合一、天国

といった工合(ぐあい)である。



そこで私が唯一のものと思っていた合理的知識以外に、

今生きている全ての人類には、

更に他の超合理的な認識、つまり 信仰というものがあって、

それが 生きることを可能にしているということを、

否応(いやおう)なしに認めさせられたのである。



信仰の あらゆる非合理性は、私にとって以前と変りはなかったけれど、

私はそれだけが人類に 人生問題への解答を、

したがってまた生きる可能性を与えているということを認めぬわけにゆかなかった。

8-3 「合理的な見解=生は悪」VS信仰「理性の否定」

私は永いこと、言葉の上でなく 事実において

我々 最もリベラルでまた学問ある人々に特有の、

こうした狂気の状態のうちに暮した。

然しながら 私のうちに、真の労働階級に対する一種不思議な、
フィジカルな愛情があって、

私に彼らを理解させ、

彼らが 我々の考えるほど愚かでない ということを示してくれたからか、

あるいはまた、私としては 
自分の出来る最善なことは首を縊(くび)ることだということの外
何も知らない という確信が 嘘いつわりのないものであったためか、

--- 私は、もし自分が生きて行きたいし、生の意味を悟りたいならば、

その意味を、勿論 生の意味を失って 自殺しようと欲している人達の中にでなく、

数十億の過去及び現在の人類大衆、自分自身や我々の生活を造り、

それを支えている人々の間に 探さなければならない と直感したのだった。



そこで私は 過去及び現在の、
素朴な、学問も富もない、量り知れぬ数の 一般大衆を見廻して、

まる別個のものを見たのである。

私には、過去及び現在の これら幾十億の人々は、

みんな、ほんの稀(まれ)な例外はあっても、

私の分類の中にはいって来ないこと、

また 彼ら自身 問題を非常に明白に提起し、
それに答えているのだから、
彼らを 問題を理解せぬもの
と認める訳には行かない、ということがわかった。



彼らを快楽主義者 と呼ぶことも出来なかった。

というのは、彼らの生活は 快楽よりもむしろ欠乏と苦悩からなっているのだから。

また 不合理に無理のない生活をつづけているものとは なおさら言えなかった。

というのは、彼らの生活上の実践も、死そのものも、
彼らにはちゃんと説明がついていたからである。



自殺することは、彼らは 最大の悪と考えていた。

全人類の中には 何かこう 私の認め難い、
軽蔑しているような人生の意義に関する見解があることが分った。

つまり 合理的な見解は、生の意味を与えないで それを排除する。

幾十億の人々によって、全人類によって与えられる生の意味は、
何か軽蔑に値する、間違った見解に基づいている ということになるのだった。



学者や智者の中の合理的な見解は、人生の意味を否定するが、

莫大な数の人々、全人類--は その意味を不合理な見解の中に認める。

そしてこの不合理な見解というのが、

外ならぬ 信仰、
私が放棄せざるを得なかった その 信仰だったのだ。

それは一体にして 三位なる神、

六日間での天地の創造、悪魔と天使、

その他 私が狂気にでもならぬ限り認めるわけに行かぬ一切のことだった。



私の立場は 恐ろしいものだった。

私は 自分が合理的見解の道に進めば、
生の否定以外 何も発見しないことが分っていたし、

また 信仰の世界には、生の否定より もっと不可能であるところの、
理性の否定以外に 何もないことが分った。



合理的見解に従えば、生は悪であり、
人々はそれを知っているのであるから、
生きたくなければ それは彼らの意のままのはずである。

ところが 彼らはこれまで生きて来たし、生きつつあり、
かく言う私も、もうとっくに 生が無意味であり悪であることを知っていながら生きて来た。
---といったことになる。

一方 信仰によれば、

人生の意味を理解するためには、

私は理性を、まさにそれにとってこそ意味が必要な理性を
自(みずか)ら否定し去らねばならぬ
---ということになる。

8-2 自分の智慧の傲り

今思えば、私が人生について考察する時、

どうして私を四方から取囲んでいる人類の生活を看過(かんか=見逃すこと)したのか、

どうして自分が、

私やソロモンやショーペンハウエルのような人の生活こそ
真正かつノーマルな生活であって、
幾十億の人々の生活は、注意を向けるだけのこともない その背景にすぎぬ

と考える程まで滑稽な迷誤(めいご)に陥ったか、不思議なくらいだけれど--

--全く今思えば 不思議でしょうがないけれど、やっぱりそうだったということが分る。

自分の智慧の傲(おご)りの故に迷っていた頃、

私は私がソロモンやショーペンハウエルと共に、
問題を最も忠実に正しく提起(ていき=問題・話題などを持ち出すこと)していて、
外に提起の仕様はないと頭から思い込んでいたので、

--また幾十億の人類大衆は 悉(ことごと)く
問題の深みを理解するに至らぬ人々に外ならないと
信じて疑わなかったので、

自分が人生の意味を探求する際に

一度も、

《これら全て幾十億の、この世に過去にも生きて来たし
現在も生きている人々は、自分の生活にどんな意味を与えているのだろう?》

と考えたことはなかった。

8-1 生命の常識

これらの全ての疑念は、今でも多少纏(まと)まった形で述べることが出来るけれど、

当時はまだ自分でも言い表わせなかったろうと思う。

当時は 私はただ、

最も優れた思想家達から確認された、
自分の、人生は空しいものであるという結論が、
よし論理的にどんなに抜きさしならぬものだとしても、

何かちょっとおかしいところがある、 と感じていただけだった。

判断そのものにおいてか、問題の立て方においてか知らないが、

ただ、理窟の上での説得力は完全であるけれど、

どうもそれだけでは足りない と感じていた。

これらの全ての結論は、
私に その判断から当然生ずるはずのもの、
つまり私が自殺する という事態を 実際に惹き起す程に説得的ではなかった。

それも 自分が理性の力で行き着く所まで行き着いて、
ために敢(あえ)て自殺しなかったのだと言えば嘘になるだろう。

理性も働いたには働いたが、

もっと違った何か、

私には 生命の常識とでも呼ぶ外 呼びようのないものも 働いた。

私の注意を従前と違った方面へ向けさせる力が別に働いて、

この力が私を絶望状態から救い出し、

私の理性の方向を 完全に変えたのである。

この力は私に、私や私に似た何百人かの連中が 全人類なんかでなく、

私はまだ人類生活が分っていないのだということに注意を促したのだ。



私と同輩の 狭い範囲の人々を見廻して、

私はただ、問題を理解しない人や、理解しながら生に酔うことで紛らしている人や、

それを理解して自殺する人や、

理解しながらも優柔不断に絶望的な生活をつづけている人だけを見た。

それ以外の人達は 見当らなかった。

私には、自分もそれに属している学者や金持ちや
有閑階級の狭いサークルが 全人類を構成していて、

今日まで生きて来、また現在も生きつつある幾十億の人々は、
まぁ家畜みないなもので、人間とは言えない といった気がしていた。

7-3 どこかで私は間違った

生は無意味な悪である ということは疑う余地がない--と私は自分に言った。

それでも 私は生きて来たし、今も生きている。

そして全人類もまた生きて来たし、生きつつある。

一体どうした訳であろうか?

生きることが止められるのに、どうして人類は生きて行くのだろう?

私一人が ショーペンハウエルのように賢くて、
生の無意味と悪とを悟った とでもいうのか?



人生の空しさについての判断は 別にそうややこしい事でもなく、

昔から最も素朴な人達すらやって来たことだが、

それでも彼らは生きて来たし、生きている。

どうしてまた彼らは みんなひたすら生き、

生の合理性を いささかも疑おうとしないのだろうか?



賢者達の智慧によって裏付けされた私の知識は、
私に世界の万物--有機物も無機物も--はみんなすごく巧妙に出来ているのだが、
ただ 私のいる立場だけが愚劣だということを示した。

ところがこれらの愚者達--莫大な数の一般大衆--は、
世界における有機物や無機物が どんな具合に構成されているかなど
何も知らないけれど、やっぱり生きており、
そして彼らの生が 大変合理的に出来上っているように思っているのだ。



そこで 次のような考えが頭に浮かぶ。

--どうも私は まだ何か知り損ねているのではないか?

無知という奴は、まさに こういう ていたらくなのだ。

無知というものは、いつもそういう言い方をする。

自分が何か知らないものがあれば、
無知はその自分の知らないもののことを愚劣だなどと言う。

実際の話が次のようになる。

つまり、全体としての人類は これ迄生きて来たし、また生きつつあるのだが、
どうも自分の生の意義を理解しているふしがある。
なぜなら それを理解しないでは これまで生きて来れなかったろうから。

ところが私は、こんな生は みんなナンセンスであって、
生きてなんか行けないというのだ。



誰も我々に、自殺によって生を否定することを邪魔立てしない。

自殺をすれば--くどくど考えなくともいい。

生きていて生の意味が理解出来ないなら、それを絶てばいいので、

自分が生を理解出来ないということをしゃべったり書いたりして、

この世にうろうろするのは よしたがいい。

お前は 愉快な仲間の所へやって来る。

その人達は みんな大変楽しくやっていて、

自分で自分のやることは ちゃんと分っている。

ところがお前には それが退屈で不快だというのなら、
その場から 立ち去ればいいのだ。



実際のところ、自殺の不可避性を確信していながら、

それを果す決心もつかぬ我々は、最も優柔な、支離滅裂な、

あっさり言えば、馬鹿が絵に描いた袋を持ち歩くように

自分の愚劣さを抱えまわる愚人でなくて 何であろう。



我々の賢さは、それがどんなに疑う余地のないものでも、

我々の生の意味についての認識を 我々に与えなかったではないか。

ところが 現に生を続けつつある全人類、幾百万の人間は、

生の意味について 疑おうとしないのだ。



実際また、私がそれについて 若干知るところのある、人間の生活というものが

凡(およ)そ存在した遙(はる)かな遙かな往昔(おうせき=遠い昔)以来、

人々は私に 生の無意味さを示したところの
生の空しさに関する判断を知りながら生きて来たので、、
それでもやっぱり 何かの意味を生に附与して来たのだ。



およそ何らかの人間の生が始まって以来、

彼らには この生の意味が存在した。

そしてその生を続けて、この私の生きる現在にまで至っているのだ。

私の中に また私の周囲にあるものは全て、
--肉体的なものも非肉体的なものも何もかも--彼らの人生の智慧の所産である。

私がそれでもって生を考察し また譴責(けんせき=厳しくとがめる)するところの
思索の手段そのものが、みんな私でなく 彼らによってつくられたものなのだ。

私自身が 彼らのおかげで生れ、育まれ、成長してきたのだ。

彼らは鉄を採掘し、木材の伐採法を教え、牛馬を飼い馴らし、
種を蒔くことを教え、我々の生活を整えて来た。

彼らは私に考えたり話したりすることを教えた。

而(しか)もその私--彼らの所産であり、彼らに養い育てられ、
彼らによって学ばされ、彼らの思想と言語で思索するこの私--が彼らに、

彼らの生存の無意味さを証明したのだ。

《どうも少し変だ--と私は自分に言うのだった。--とこかで私は間違ったなぁ。》

でも その間違いがどこにあるのか、どうにも私は発見出来なかった。

7-2 自殺しなかった原因

第三の脱路は 力とエネルギーのそれである。

それは 生が悪でありナンセンスであることを知って、

それを絶滅させることの中にある。

力強い、首尾一貫した性格の人々が 稀(まれ)にそうした行為に出る。

我々の上に仕組まれたメロドラマの馬鹿々々しさが すっかり分り、

彼らはそうした行為に出て、一挙に愚劣な芝居を しまいにする。

幸い 手段は色々ある。

首にはめるロープの輪差(わさ=ひもを結んで輪にしたもの)、水、
胸に突き立てるナイフ、線路を走る列車、等々である。

実際 我々仲間の人達で、こうした行為に出る者が絶えず増大している現状である。

しかも そうした行為に出る人達は、

多くの場合 人生の最もよき時代、精神力がまさに満開の、
人間の理性を貶(おとし)める俗習が あまり身にしまぬ時代においてである。

私は これが最も品位ある脱路であると思い、そういう風にやりたいと思った。



第四の脱路は 優柔不断のそれである。

それは 人生の悪と無意味さを悟っていて、

所詮 なんにも始まらぬと前もって分っていながら、

やはり荏苒(じんぜん=歳月が移り行くままに、何もしないで)日を送ることの中にある。

この種の人達は 死が生よりましであることを知っていながら、

それでもさっさと欺瞞と裾(すそ)を分って自殺するという、
筋の通った行為に出る力がなく、
何か物待ち顔に生きて行く。

これが 優柔不断の脱路である。

というのは、もし私が よりましなものを知っていれば、

そしてそれが私の手にとどくとすれば、

どうしてそれに身を委ねないのか?

--- 私はこうした種類のうちの一人だった。



こういう風に 我々仲間の人達は、
四つのやり方で 恐るべき矛盾から身をのがれている。

どんなに自分の精神的注意力をはりつめても、

この四つの脱路以外には 私は何も見ることが出来なかった。



一つの脱路は、

生が無意味であり空であり悪であり、
寧(むし)ろ 生きない方がましであるということを悟らぬ というやり方である。

私はそれを知らずにいることは出来なかったし、
一度知ったら それに眼を瞑(つむ)ることも出来なかった。

もう一つの脱路は、

未来のことを考えずに、現在あるがままの生を享楽することだった。
これも私にはやれなかった。

私も釈迦牟尼(しゃかむに)のように、
老と苦と死とが厳存(げんそん=確実に存在)することを知った以上、
猟などに出かけたり出来なかった。

そのためには あまりにも私の想像は 生々しすぎた。

それにまた私は、
一瞬 私に享楽を恵んでくれる 束の間の偶然を喜ぶことが出来なかった。

第三の脱路は、

生が悪であり愚劣であることを悟って それを停止する、
つまり 自殺することだった。

私はそれがよくのみ込めたのだが、

なぜだか依然として自殺しなかった。

四番目の脱路は、

ソロモンやショーペンハウエルのような状態で生きること、
つまり、生が愚劣な、私の上に仕組まれたメロドラマであると知りながら、
それでも生きて 顔を洗ったり、着物を着たり、食事をしたり、
しゃべったり、本まで書いたりすることである。

これは 私にとって不快でもあり 苦しくもあったが、

やっぱり こうした状態にとどまっていたのである。



今思えば 私が自殺しなかった原因は、

私におぼろげながら 
自分の思考の誤りを感ずる意識があったことだ ということがわかる。

我々に 生の無意味を認めさせるに至った、私や賢者達の思考の道筋が、

どんなに確実で疑いのないものに見えるにしても、

やはり私には 自分の判断の真実性に対する
おぼろげな疑念が残っていた。



その疑念 というのはこうだった。

私、即(すなわ)ち私の理性が 生の不合理性を認めた。

もしも より高い理性が存在しないなら
(そんなものは存在しないし、その存在を証明し得る何者もない)

この理性が 私にとっての生の創造者である。

理性がなければ、私にとって生もまた無いであろう。

自分自身が 生の創造者でありながら、

この理性はどうして生を否定するのであるか?

あるいは他面から言えば、

もしも生がなければ 私の理性もないであろう。

つまり 理性は生の子供である。

生こそ全(すべ)てである。

理性は 生の果実であるのに、

その理性が 生そのものを否定する。

どうもそこのところが少しおかしい、と私は感じたのだった。

7-1 ソロモンの快楽主義

学問の中に説明が見つからなかったので、

私はその説明を人々の生活の中に探し始めた。

それが私の周囲に暮す人々の中に見当るのではなかろうか と思ったのである。

私は自分と同種の人々を、彼らが私の周囲でどんな暮し方をしているか、
私を絶望に導いたその問題を どう扱っているかを観察し始めた。



そこで私が教養とか生活形態の点で 
私と同じ状態にいる人達の間に見出したものというのは次のことである。

私は 我々仲間の人達にとっては、
我々みんなが置かれている恐ろしい境遇からの脱路が四つあることを発見した。



第一の脱路は 無知のそれである。

それは 人生が悪であり無意味であることを、知りもせず理解もしないことの中に存する。

この種の人々-- 大部分女性あるいは大変若い、または大変愚鈍な人達--は
まだショーペンハウエルやソロモンや仏陀が直面した人生問題を理解していなかった。

彼らは 竜も見ず、
自分がつかまっている灌木を齧る鼠も見ないで、蜜の滴を嘗めている。

然し彼らがその蜜の滴を嘗めるのも、ただ 束の間にすぎない。

何かが彼らの注意を竜や鼠に向けさせるや、
もう 蜜を嘗めるのはおしまいである。

私には 彼らに学ぶべきものは何もない。

知っていることを知らないようになる訳には行かないからである。



第二の脱路は--快楽主義のそれである。

それは 人生の絶望性を知りながら、さしあたってすぐ眼の前の幸福を味わうこと、

竜も鼠も見ないで、 なるべくうまく 蜜を嘗めること、

ことに蜜がうんとたまった時は そうする事の中にある。

ソロモンは この脱路を次のように言い表わした。

《茲(ここ)において我は 快楽を讃美す。
そは飲食して楽しむにまさること日の下にあらざればなり。
人の労して得る物のうち、
これこそはその日の下にて神に賜(たまわ)る生命(いのち)の日の間、
その身を離れざる物ぞかし....
汝(なんじ)行きて歓喜(よろこび)をもって汝の麺麭(パン)を食し、
楽しき心もて汝の酒を飲め、

日の下に汝が賜わるこの汝の空(くう)なる生命(いのち)の日の間、
汝その愛する妻共に喜びて暮せ。汝の空なる生命の日の間、
斯(か)くてあれよ。是(これ)は汝が世にありて受くる分にして、
汝が日の下に働ける労苦によりて得るものとなればなり。
凡(すべ)て汝の手の堪(こた)うる事は、力をつくしてこれを為せ。
蓋し(けだし=思うに)、汝の赴(おもむ)く陰府(よみのくに)には、
労働も思索も、知識も智慧もあらざればなり。》



かくて我々仲間の人々の大部分が、自分の中に生の可能性を保持して行く。

彼らが置かれている境遇は、
彼らに禍(わざわい)よりもより多く福を与えるように出来ているし、

またうまい具合に彼らの精神的な魯鈍(ろどん=愚鈍)さが彼らに、

彼らの境遇の有利さは 偶然にすぎないこと、
誰でもがソロモンのように 千人の妻や宮殿を持つわけに行かないこと、
千人の妻を持つ男一人に対して 妻を持たぬ男が千人いること、
ひとつひとつの宮殿に対して 汗しながらそれを建てる千人の人間がいること、
そして今日 私をソロモン王のような境遇においた偶然が、
明日はまた 私をソロモンの奴隷にするかもしれないことなどを
忘れさせている始末である。

これらの人々の想像力の鈍さは 彼らに、

仏陀に安き心を与えなかったところのもの、病・老・死の避け難さ、
今日、でないなら明日にも 
あらゆるこれらの逸楽(いつらく=気ままに遊び楽しむこと)を
破壊し去るところのものを 忘れさせているのだ。



我々と同時代の、生活様式が同じ人々の大部分が
こんな風に考え また感じている。

これらの人人のうちのある者が、
彼らの思想と想像力の魯鈍さを、
実証主義という名の哲学であるなどと強弁しても、

私の眼には 彼らも、問題に眼を瞑(つむ)るために、

蜜を嘗める手合いと なんら区別はないのだ。

私は 彼らに従うわけには行かなかった。

彼らの如(ごと)き想像力の貧困を持ち合わせぬ私は、

人工的にそれを自分の中につくり上げることは出来なかった。

私もあらゆる生きた人間並みに 一度 鼠や竜を見てしまうと、

どうしても それから眼を離すことが出来なかったのである。

参照: 鼠と竜 蜜 4-2 馬鹿みたいにぼんやりと頂点に立っている