私は 我々仲間の生活が 本当の生活と言えず、
ただ そのまね事に過ぎないこと、
我々が住む贅沢三昧(ぜいたくざんまい)な生活条件は、
我々から人生を理解する可能性を奪うということ、
そして 人生を理解するためには、
私は例外的人生、つまり我々 生の寄生蟲をでなく、
素朴な労働階級の生活---生を創り出し、
その生に附与する意味を創り出している人達の生活を理解しなければならない
ということを認めて、我々仲間の生活と袂別(べいべつ=たもとを分かつ)した。
私の周囲の素朴な労働階級といえば、ロシヤ民衆だったので、
私は彼らに、そしてまた彼らが生に附与している意味に眼を向けた。
その意味というのは、言って見れば次のようなものだった。
---万人は神の御旨(みむね=お考え)によって地上に生を享(う)けた。
そして神は人間を、
各人が己れの霊を滅ぼすことも救うことも出来るように創造し給(たま)うた。
人のこの世における課題は、
---己(おの)れの霊を 救うことにある。
己れの霊を救うためには、
神の御旨に従って生きねばならないが、
御旨に従って生きるためには、
あらゆる生の逸楽(いつらく=気ままに遊び楽しむ)を避け、
額(ひたい)に汗して働き、柔和(にゅうわ)に、忍耐強く、慈悲深くなければならない。
---こうした生の意味を 民衆は、聖職者によって、あるいは
彼らの中に生きつづけている古人の遺訓(いくん)によって 彼らに伝えられ
また伝えられつつある教説の中に 汲(く)み取っているのだ。
この意味づけは 私にとって明瞭(めいりょう)で、
また私のハートに親しみやすかった。
然(しか)しこの民間信仰の中の意味づけは、
私がその間に住んでいる我が非分離派信者においては、
私を反撥(はんぱつ)させ、
どうにも説明がつかぬと思わせるような いろんなものと結合させられていた。
聖秘礼、教会の勤行(ごんぎょう)、斎(ものい)み、聖骸聖像への礼拝等々である。
一を他から切り離すことは 民衆に出来ないし、私もまた出来なかった。
民間信仰に入り込んでいるもののうち、
私に奇妙に感じられたものが沢山あったけれど、
私は 何もかも受け容れ、勤行(ごんぎょう)に通い、
朝夕のお祈りをし、斎戒(さいかい=心身を清浄に)し、精進(しょうじん)し、
しかも 最初のうちは私の理性は なんら反撥を感じなかったのである。
前には 私にはとても出来ないと感じられていたまさにその事が、
今では 私の胸中(きょうちゅう)に ちっとも反感を惹起(じゃっき)しなかったのだ。
☆
私の信仰に対する態度は、今や従前のものとすっかり変わったものとなった。
以前には 人生そのものが意味で充満しているように見え、
信仰は 何かまるで私に不必要な、不合理な、
そして人生と繋(つな)がりのない命題の
勝手気儘(かってきまま)な確認だと思われた。
その当時私は、これらの諸命題に どんな意味があるかを自問し、
意味なぞ何もないことを確信して それを放棄した。
ところがいまでは反対に、私の生活が いかなる意味も持たず、
また 持ち得ぬことをはっきりと知り、
一方 信仰命題は 私に不必要なものと見えなかったばかりか、
疑うべからざる経験によって、
ただこれらの信仰命題のみが
人生に意味を与えるものだという確信に導かれたのである。
以前には 私は信仰命題を、まるで無用な唐人(とうじん)の寝言
(=何を言っているのか分らない言葉)と見ていたが、
今やそれらを理解したとは言えなくとも、
その中に意味があることを知り、
それを理解するように勉強せねばならない
と自(みずか)らに言いきかせたのだった。