3-3 生命力の停滞--どう生き、何をしたらいいのか

その15年間ずっと、私は文士稼業を くだらぬことだと思って来たにもかかわらず、

やっぱりずっと 物を書きつづけて来た。

私はすでに 文士稼業の誘惑、
莫大な金銭的の、そしてまた 私のくだらぬ作品に対する拍手喝采の誘惑の味をしめ、

自分の物質的境遇改善と、私自身 及び万人の 生の意義に関する
心中(しんちゅう=内心)の凡(あら)ゆる疑問圧殺の手段として、
その誘惑に 身を委ねたのであった。



私は 私にとって唯一 いつわりのないところのもの--出来るだけ
自分と自分の家族の利益のために生きねばならぬことを教えながら
著作をやったのだ。



こんな風に 私は暮らして行った。

ところが 5年前から私に 何か非常に奇妙な現象が生じ出した。

最初に いぶかりの念、

どう生きたらいいのか、

何をしたらいいのか分からなくなる といった、生命力の停滞の瞬間が
私の中に起き始め、

そのために私は取り乱し、意気銷沈(いきしょうちん)した。

然し それも間もなく過ぎ去って、私は依然 従前通りの暮らしに戻った。

それ以来、この いぶかりの瞬間は ますます頻繁に、

そして いつも同じ形で繰り返されるようになった。

この生命力の停滞はいつも、

なぜ? そしてそれから? という疑問の形で表れるのだった。



最初私には、 そんなものは、まぁ、無駄な、見当はずれの疑問にすぎない、

といった気がした。

そんなものはすっかり分かり切ったことで、その解決に手を染める気にさえなれば、

私にとっては それは何でもないことである。

ただ、今のところ そんなことをやっている暇がないが、思い立ちさえすれば、
すぐ解答なんか見つかるんだと思われた。

然しながら この疑問は ますます頻繁に繰り返され、ますますしつこく解答を迫り始め、
雫(しずく)がいつも一点に集中して落ちるように、解答を与えられぬこの疑問は、
重なり合って 一つの黒い斑点になって行った。



不治の内部疾患に犯された、あらゆる患者に起きるようなことが起きた訳である。

最初は 患者が気にもとめない程 軽微な、
種々(しゅじゅ=いろいろ)の不調の徴候が現れる。


其の後 これらの徴候は ますます頻繁に繰り返され、

ついにはもう 絶え間のない苦悩と化してしまう。

苦悩はますます募(つの)り、患者はあっという間もなく、
彼が単なる不調ととっていたものが、彼にとってこの世において最も厳粛なもの、
--外ならぬ死そのものであることを悟るのである。



まさに そうしたことが私に起きたのである。

私は、これは かりそめ(=一時的)の不調などでなく、何か非常に重大なもので、
この疑問が相変わらず繰り返されるなら、
何とかそれに解答しなければならない と悟った。


そこで私は解答しようと試みた。

そうした疑問は くだらない、単純な、子供じみた疑問に思えた。
然しながら、私がそれに手をつけ、解決しようと試みるや否や、
私は第一に それが決して子供っぽい、ばかばかしい疑問なんかではなく、
人生における 最も重大な 深遠な疑問である ということ、
それから 第二に、どんなに考えて見ても、どうにもこうにも 私には
その疑問を解く力がない ということを思い知った。

サマーラの土地の世話とか、息子の養育とか、著作とかをやる前に、
なぜ そんなことをするのかを知る必要がある。
なぜ? ということが分からなければ、
私は何もやれないし、また 生きていくことも出来ない。


当時 私がすごく熱中していた 農事経営についてのもくろみの合間に、
ふと 次のような疑問が浮かんだりするのだった。

《よろしい、お前はサマーラ県に6千デシャチーナ
(訳者註、1デシャチーナは1,092ヘクタール)の土地と、300頭の馬が持てるだろう。
が、それから?》

そこで私は 完全に呆然(ぼうぜん)となって、
その先 どう考えたらいいか分からなくなるのだ。

あるいは 子供達の養育について あれこれ考えながら、
ふと、《何のために?》と自問する。

あるいは、どうしたら一般民衆の福祉が達成出来るか と思いめぐらしながら、
ふと、《それが私に何の関係がある?》と自問する。

あるいは 自分の作品が私にもたらすであろう名声について思いながら、

《よろしい、お前は ゴーゴリ、プーシュキン、シェークスピア、モリエール、
その他 世界のすべての作家以上の名声に輝くかもしれない。
--が、それがどうだというのだ?》と自問する。

するともう私は、なんにもなんにも答えることが出来ないのだった。

疑問は待っていてはくれないから、今すぐ答えねばならない。

答えない限り、生きて行けないのだ。

ところが その答えが見当たらないのである。

私は 自分の立っている地盤が潰(つい)え去って、もう足場がないこと、

私が それを頼りにこそ生きて来たところのものが、早や無くなったこと、

これでは 生きるよすがもない ということを感じた。