では更に 印度の賢者がどんなに言っているかを見よう。
それまで病いも老いも、死も知らされてなかった
若い幸福な皇子釈迦牟尼(しゃかむに)は、
或る日馬車で外に出かけ、歯が脱(ぬ)けてしまって、涎(よだれ)をたらしている、
ぞっとするような一人の老人を見た。
老いというものを その日まで見たことのなかった皇子は驚いて、
馭者(ぎょしゃ=馬車を走らせる人)に、
なぜあの男はあんな無残な醜悪な有様になったのかを尋ねた。
そして彼は それが万人共通の運命であり、
若き皇子である彼にも のがれ難い同一の運命が待ち伏せていることを知り、
もう出遊びする気もなくなって、そのことについて熟思するために馬車を返えさせた。
そして彼は、ひとり部屋に閉じこもって 沈思黙考(ちんしもっこう)する。
そして多分 何らかの慰めを考えついたのでもあろう。。
というのは、彼は再び快活な幸福な気分で馬車を外に駆るのである。
ところが今度は 彼は病人に出会う。
彼はやつれて蒼(あお)ざめた、体をぶるぶるふるわせている、
両眼とも どんより濁った男を見る。
病気というものをしらされていなかった皇子は立ち止って、
一体それは何であるかをたずねる。
そしてそれが、あらゆる人に襲いかかる病気というもので、
健康で幸福な皇子である彼自身、
明日にもこんな風に病むかもしれないことを知った時、
またもや遊び廻る気がしなくなり、
馬車を返させて、再び心の落着きを探し求める。
そして多分 それを発見したのでもあろう。
彼は三度(さんたび)馬車で出遊するのである。
ところで三度目に 彼は更に新奇な光景を見る。
彼は みんなが何かを運んで来るのにぶっつかる。
《これは何か?》--死人でございます。--《死人とは何のことか?》と皇子は問う。
彼に、死人になるというのは、この男が今なっているような姿になることだと説明する。
皇子は死人に近寄り、蔽布(おおい)をはぐってそれを見つめる。
《この男はこれからどうなるのか?》と皇子はきく。
この男は、土を掘って そこに埋めますと答える。
《一体なぜだ?》-- きっともう今さら生き返らないでございましょうし、
ただもう悪臭と蛆(うじ)が発生するだけでございますから。--
《これは全ての人の運命なのか?私にもそんなことが起るのか?
私を土に埋め、私の体から悪臭が生じ、蛆虫がそれを餌食にするのか?》
--御意(ぎょい=目上の人に対して、同意・肯定を示す返事の言葉)にございます。
《馬を返せ!出遊(しゅつゆう)は取り止めじゃ。今後共に 一切取り止めじゃ。》
☆
かくて釈迦牟尼は 生に慰安を見出すことが出来なかった。
そこで彼は 生は最大の悪であると断じ、
自分自身も他人も 生から解脱(げだつ)せしむることに全精力を注いだ。
しかも 死後において生がふとして蘇(よみがえ)ることのないように、
生を全面的に根源から絶滅せしめようと願ったのである。
このことは、すべての印度の聖賢(せいけん=聖人と賢人)の説くところである。
つまり 以下にあげるものが、
人間の智慧が人生問題に答える際の 真っ正直な解答なのだ。
《肉体の生は悪であり、虚偽である。故にこの肉体の絶滅は善であり、
我々は それを望むべきである》とソクラテスは言う。
《生とは、もともとあるべからざるもの、即ち悪であり、
無への移行は 人生唯一の善である》とショーペンハウエルは言う。
《此の世の凡て、愚も賢も、富も貧も、喜悦(きえつ)も悲嘆も、
--凡てこれ 空の空にして 無価値なり。人は死す、しかして何物をも
あとにとどむるなし。これまた愚かしき限りならずや》とソロモンは言う。
《苦悩と衰弱と、老いと死の不可避性を意識しながら生きて行くことは出来ない。
--己れを生より、凡(あら)ゆる可能性より解脱せしめねばならない》と仏陀は言う。
そしてこれらの卓越した聖賢達が言ったことを、同様に 幾百幾千万人の人達が言ったり
考えたり 感じたりして来た。 そしてかくいう私も それを思い それを感ずるのだ。
☆
こうして学問の森の彷徨(ほうこう=さまようこと)は、
私を絶望の念から救い出さなかったばかりか、
むしろ それを強めた。
一つの学問は 人生問題に答えなかったし、
もう一つの学問は 真っ直ぐに答えているのだが、
私の絶望を 尤(もっと)もだとし、
私が到達した所は 私の迷い あるいは 私の病的精神状態のせいではなく
反対に
私が人類の尤も卓越した賢者達と同じ結論に達したのだ ということを示すのである。
自分を欺(あざむ)いて見ても 始まらない。
凡(すべ)ては--- 空である。
生れざりし者は 福(さいわい)なる哉(なり)。
死は生より望ましい。
だから 生から脱出しなければならない。