もしも自分の生涯を 拷問や 断首に過してきた死刑執行人とか、
ぐでんぐでんの よっぱらいとか、
あるいは一生涯 暗い部屋に坐っていて、
この部屋を汚し、この部屋から出たが最後 自分は滅びてしまう
と想像している狂人とか、
--- そういう人が
生とは何か?
を自問したら どうなるだろう?
明らかに彼は この問いに対して、
生とは最大の悪である、とより外の答えを得ることは出来まいし、
またその狂人の答えは 完全に正しくもあろうが、
ただそれは 狂人自身にとってのみである。
☆
私もそうした風の狂人だったらどうだろう?
我々みんな、富裕なる有閑無為な人達は、
そうした狂人だったらどうだろう?
いや、私は、我々が 事実そうした狂人だということを悟った。
この私はもう、間違いなくそうした狂人だったのだ。
☆
実際のところ、
鳥は翔(と)び、食べ物を集め、巣をつくらねばならぬように出来ている。
それで 鳥がそうするのを見れば、
彼らの喜びは そのまま 私の喜びと感ぜられるのである。
山羊(やぎ)や兎(うさぎ)や狼(おおかみ)は、
食をあさり、繁殖(はんしょく)し、
仔を育てるように出来ている。
で 彼らがそれをやる時、
彼らが幸福で、彼らの生き方が合理的であるという
確固たる意識が 私にあるのである。
☆
では 人は何をなすべきか?
人も 動物と同様 生活のために稼がねばならないが、
ただ 彼が一人で稼ぐなら 滅びてしまうという違いがある。
彼は 自分のためにでなく、
万人のために 額に汗せねばならない。
そこで彼がそうするなら、
彼は幸福で、彼の生活は合理的であるという、
確固たる意識が私に生ずるのである。
☆
自分の物心ついて以来の30年間に 私は何をやって来たか?
私は 万人の生活のために稼がなかったばかりか、
自分のためにすら 稼がなかった。
私は 寄生蟲的な暮しをやり、
何のために自分が生きているのかと自問して、
何のためでもない という答えを得た。
もし 人間の生活の意味が 生活のために額に汗することにあるならば、
30年間も 生活のために稼ぐことなく、
寧(むし)ろ 自分や他人の中の生活を滅ぼしていた私が、
自分の生活は無意味であり 悪である という答え以外の答えを
どうして受け取ることが出来ただろう---
---私の生活は実際 無意味でああり 悪であったのだ。
☆
全世界の生活は、誰かの意思によって行われている。
---誰かが 全世界の生活と、我々の生活でもって、何か自分の仕事をしている。
この意思の意味を悟ろうという希望を持つためには、
何よりも先(ま)ず、その意思を遂行(すいこう)すること、
その意思が 我々に求めるものを為(な)すことが必要である。
もし私が 自分に求められるものを為さなければ、
自分が何を求められているかが 決して分らないだろう。
況(いわん)や 我々全部が、
全世界が何を求められているかは、もっと分らないであろう。