10-1 欠乏・苦悩・死を恐れる我々仲間の信者達

こうした事を理解するようになったが、

でもそのため 気が軽くなりもしなかった。



私は もしそれが真向(まっこう)から理性を否定することを要求しなければ
(それを要求すれば虚偽に違いない故)

どんな信仰でも受容する気持ちになっていた。

そこで私は 仏教やマホメット教を書物の上で、
何よりも基督教を 書物や、また私を囲む現に生きている人々を通じて研究した。



自(おのずか)ら 私の眼は 
我々仲間の信者達に、学識ある人達に、
正教の神学者達に、修道院の長老達に、新傾向の神学者達に、

更には贖罪(しょくざい=神の子キリストが十字架にかかって
犠牲の死を遂げることによって、人類の罪を償(つぐな)い、
救いをもたらしたという教義)を信ずることによって救われるとする
いわゆる新基督教徒たちにすら向けられて行った。

そこで私は これらの信者達をつかまえて、

彼らがどんな信じ方をしていて、

また何に人生の意味を見出しているのかを こまごまとたずねた。



私は 能う(あたう=できる)限りの譲歩をし、

一切論争などしないように努めたにもかかわらず、

彼らの信仰を受け入れる事は 出来なかった。

私には 彼らが 信仰と称するものが、

人生の意味の解明でなく、

寧(むし)ろ 隠蔽(いんぺい)であること、

そしてまた 彼らが自分の信仰を表白(ひょうはく=考えや気持ちなどを、
言葉や文章に表して述べること)するのは、

私を信仰に引き寄せたところの 人生問題に答えんがためでなく、

何か別な、

私と関係のない目的のためであることがわかった。



これらの人達との交渉において、

何度も何度も経験した期待が裏切られた後の、

又ぞろ従前の絶望に逆もどりだという、

あの 堪え難い恐怖の感情を 今でも忘れない。



彼らが私に、自分の信仰をあれこれと、

また こまごまとまくし立てれば立てるほど、

私は 彼らの迷妄(めいもう=道理がわからず、
事実でないことを事実だと思い込むこと)と、

彼らの信仰の中に 
人生の意味の解明を見出すという私の期待の空しさを

はっきり見て取るのだった。



彼らが自分の信仰の講釈の中で、
いつも私になじみ深かった基督教の真理の中に、
外(ほか)の色々の不必要で不合理な事柄を混入させたというのでなく、

--その事が私を反撥(はんぱつ)させたというのでなく、

これらの人々の生活が 私とまるで同じで、

ただその相違というのが、
彼らの生活が 彼らが自分の信仰講釈の中で述べる原理その物と
矛盾しているということにあるという、その事が 私を反撥させるのだった。



私は 彼らが自らを欺(あざむ)いていること、

そして彼らも 私と同様に、

生きている間は生き、手に入るものは何でも手に入るということの外に、

何ら生の意味を持ち合せない ということを はっきりと感じた。

私にそれが分ったのは、

もし欠乏や苦悩や死の恐怖がなくなるような意味を 彼らが摑(つ)かんでいるのなら、

彼らは そんなものは恐れなかったろうからである。

彼らは、我々仲間の信者達は、

ちょうど私と同じように、何不足なく、あり余った生活をし、

ますます富を増大 維持しようとつとめ、

欠乏と 苦悩と 死とを恐れ、

そして 私や全ての我々不信者仲間と同様に

もろもろの情慾(じょうよく)を満たし、

不信者に較(くら)べてもっと邪悪な と言えなくとも、

同じくらい邪悪な生活を送っているのだった。



どんな理窟も、彼らの信仰の真実性を 私に確信させることは出来なかった。

私にとって恐ろしい貧困、疾病、死が、
彼らにとって恐ろしくなくなるような、
そんな人生の意味が彼らの所にあることを示す如(ごと)き実践のみが、
私を首肯(しゅこう=納得し、賛成すること)させたであろう。

然しこうした実践を、

私は これら我々仲間のいろいろな型の信者達の間に見出すことがなかった。

反対に 私はそうした実践を、
我々仲間でも 最も不信仰な人々の間に見出したほどで、

我々の仲間 いわゆる信仰者達の間には、まるで見出すことがなかった。



そこで私は、これらの人々の信仰は、
私が探し求めているところの信仰ではないということ、

また彼らの信仰は どだい信仰ではなく、

人生における単なる一個の快楽主義的慰安にすぎぬ ということを悟った。

私はまた、この信仰は多分、臨終の床で悔い改めているソロモンにとって、

慰安とまで行かなくても、若干の気晴らしには役立つかもしれないが、

然し他人の労苦を利用して 自分は面白おかしく暮すという運命になく、

自ら生を造り出さねばならない莫大な人類の大部分にとっては、

何の役にも立ち得ないことが分った。