これらの人々との交際は、私に 新たな罪過、
つまり 病的なまで増長した高慢さと、自分で何をとも知らぬままに、
自分には 人に教える天職があるという狂的な確信を齎(もたら)した。
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現在、当時を思い出し、当時の自分の、そしてまた それらの人達の気持ち
(そうした人達は、実は今でも何千といるのだが)、を思い出せば、
哀れでもあり、恐ろしくもあり、また 笑止でもある。
まるでもう、精神病院の中で味わうような感情が生ずるのだ。
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当時我々は 全て、自分達はなるべく急いで、なるべく多くまくし立て、書き、
印刷する必要があり、
そしてそれは、みんな 人類の福祉のために必要なのだと確信していた。
で 我々幾千人は、互いに否定し合い 罵(ののし)り合いながら、
他人に教えを垂(た)れるために、こぞって出版したり書いたりした。
そして 我々がなんにも知らないこと、人生における最も単純素朴な問題--
--何が善で 何が悪かということにも
答える術(すべ=てだて)を知らないことに気づかずに、
互いに他人を黙認したり賞讃したりし、時にはまた 互いに苛立ち合って、
まるで 精神病院そのままに、みんな一斉に がなり立てるのだった。
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幾千もの職工が、昼夜精魂をつくして働き、活字を組み、数百万語を印刷し、
郵便は それをロシア全土にばらまくのだが、
それでも我々は いっそうピッチを上げ、しかも どうしても教え切れないで、
しょっちゅう、みんなが自分達の言葉にあまり耳を傾けないといって、
腹を立てる といった有様だった。
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全く奇怪な話ではあるが、今になってみれば 事の次第がよくわかる。
我々の まぎれもない心底の思惑(しわく=煩悩)というのは、
ただなるべく多くの金銭と賞讃がほしかっただけの話なのだ。
そして その目的達成のために 我々に出来ることは、
書物や新聞に書くこと以外 何もなかった。
だから我々は そうしたのである。
しかし そんなくだらない事をやって、
しかも 自分達を 大変な重要人物だとうぬぼれるためには、
更に我々の活動をジャスティファイ(正当化)する論拠というものが必要だった。
そこで我々は 次のようなことを考えついた。
--存在するものは 全て合理的である。
存在するものは 全て進化発展する。
そして その進化発展は、常に文化の恩沢(おんたく=恩恵)による。
文化の程度というものは、書物や新聞の普及度によって測られる。
ところで我々が書物や新聞に書くことに対して、世間は金銭を支払い、
かつ 尊敬を捧げる。だから我々は--最も有益な立派な人物だということになる。
こうした判断は、もしも我々がみんな同意見であれば、大変結構な話であろう。
でも 誰か一人が何かの意見をのべれば、
きまってそれと真っ向から対立する意見が現われるのだから、
我々としても よく胸に手を当てて考えそうなものだった。
ところが我々は
そんなことに頓着(とんちゃく=深く気にかけてこだわること)しなかった。
金銭上の報酬はあるし、我が党の陣営からは賞讃を受けるし、
つまり我々は、めいめい自分を正しいものと思い込んだのである。
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今にして思えば、まるでもう
精神病院と変わるところがなかった所以(ゆえん)が よくわかる。
でも その当時は、ただ漠然たる疑念を持っただけで、
また 全て狂人というものがそうであるように、
自分以外のみんなを狂人と呼んだ次第であった。