こうして私は、そうした昏迷(こんめい)に身を任せながら、
更に結婚前の6年間を過ごした。
その期間に 私は外国旅行をした。
ヨーロッパでの生活と、ヨーロッパ第一線の、そしてまた学のある人達との交際は、
ますます私に、自分の安住する一般的自己完成の信仰を 固めさせた。
というのは、そっくりそのままの信仰を、私は彼らの中に見い出したからである。
その信仰は私のなかで、当代の大多数の教養人種の場合のような
ありふれた形態をとった。
その信仰は 《進歩》 という言葉で表現された。
当時私には、この言葉に ひとかどの意味があるように思われた。
私にはまだ、全ての生きた人間がそうあるように、
いかによく生くべきか という問題に悩まされている私が、
プログレス(進歩)に沿って生きること と答えるとき、
波風に翻弄(ほんろう)される小舟に乗った人が、
彼にとって 肝心な唯一の 《いずれの方向を目指すべきか?》
という問題に答えることを忘れて、
《どこかへ行く所へ行くさ》と言う場合と まるで同様だ、
ということが 分からなかったのである。
☆
当時 私は そのことに気がつかなかった。
ただ 時たま、理性でなくて感情が、
人々がそれを盾にして自(みずか)ら自分の人生無理解を
蔽(おお)いかくしているところの、現代一般のこの妄信に
反撥(はんぱつ)を感ずるのだった。
例(たと)えば パリ滞在中 死刑執行の実況を見たことが、
私のプログレス(進歩)に対する妄信のはかなさを 思い知らせた。
首と銅とが切り離され、
二つとも 別々に 箱の中にごとん と落ちるのを見た時、
私は 理知でなく、自己の全存在によって、
存在するものは 全て合理的であるという理論も、
プログレス云々の理論も
この行為をジャスティファイ(正当化)することは出来ないし、
よし世界中の悉(ことごと)くの人々が いかなる理論を持ち出し、
そして開闢(かいびゃく=世界の始まりの時)以来ず~っと
それの必要性を主張して来たとしても、
私はそれが必要なことではなく、邪(よこしま)なことであることを知っており、
したがって 何が善で また必要なことかについては、
世人(せじん=世の中の人)が言ったりしていることとか、
プログレス云々とかでなく、
かく言う私自身が、全心情をかけての裁定の主体でなければならない
ということを悟ったのである。
☆
進歩への妄信が
人生理解に間に合わぬことを意識させたもう一つの事件は
私の兄の死だった。
聡明で善良でまじめな人間であった彼は、
若い身空で病魔の虜囚(りょしゅう)となり、一年以上苦しみ抜き、
痛々しく 死んで行った。
なぜ生きて来たのかも、況(いわん)や なぜ死んでいくのかも悟り得ぬまま。
彼が徐々に苦しみながら死んで行く時、私に対しても彼に対しても、
いかなる理論も、これらの問いに対して 何も答えることは出来なかった。
然(しか)し これらのことは ただ時たまの疑念にすぎなくて、
本来は 依然として進歩の信仰に身を委(ゆだ)ねつつ暮らし続けたのである。
《全てのものは 進歩発展するし、私自身も そうする。
ところで 何のために私が全てのものと一緒に こんな風に進歩発展するかは、
まぁ そのうち分かるだろう。》
言って見れば 当時の私は、自分の信仰を こんな風な形に言い表わしたでもあろう。