4-1 50歳に充たぬ頃--幸福な人間であるはずの私

私の生活は行き詰った。

私は呼吸し、食べ、飲み、眠ることは出来た。また 呼吸や飲食や睡眠などは、
やめられる筋合いのものでもなかった。

でも それの充足を合理的と感ずるどんな希望も私にはなかったのだから、
生活そのものが なかった。

よし 私が何かを希望したとしても、私には前以(まえもっ)て、
その希望を充たしても充たさなくても、
どうせ 何の足しにもなりはしないことが分かっていた。

よし 女魔法使いがやって来て、私の希望するものを叶えてやろうと申し出ても、
何といっていいやら わからなかっただろう。

また 若(も)しも私に、酩酊の折りなど、希望とは言えないが、
従前からの希望の惰性のようなものが現れるとしても、
酔いが覚めるや、そんなものは欺瞞にすぎなくて、
何も望む程のものでないことが分かるのである。

真実を知ることすら、私には望ましくなかった。

なぜなら、その真実がどんなものか、見当がついていたからである。

真実とは、人生は無意味である ということだった。

まるで私は 暮らしつづけ、進みつづけ、

あげくは 断崖に行き着いて、

この先には 滅亡の外 何もないことが はっきり分かった、といった風だった。

止まることも出来ないし、

引き返すことも出来ないし、

前途には ただ苦悩と まぎれもない死
-- 完全な絶滅以外の何ものもないことを見まいと目をつむることも出来なかった。



私には、健康で幸福であるこの自分が、
もうこれ以上生きて行けないと感ずるという事態が生じた。

何か抗し難い力が、
何とかして人生からのがれるようにと 私を誘(いざな)うのだった。

でも 私が自殺を望んでいた とは言えないのである。



私を 人生からのがれるよう誘った力は、望みなどというものよりもっと力強い、
もっと横溢した(おういつ=あふれるほど盛んな)、もっと普遍的なものだった。

それは 従前(=これまで)の生への精進努力に似て、
ただそれが 反対の方向を目指しているのであった。

私は全力をあげて 生からのがれようと もがいた。

以前に 生の改善の想念が生じたように、

今度は 自殺の想念が ごく自然に生じて来た。

この想念が 凄(すご)く魅惑的なので、
私は あまりあわててそれを実行に移すことがないように、
自分自身に対して からくりをしなければならなかった。

私が あまり事を急ぐのを欲しなかったのは、ただ、
何とかこの窮状を打開するためにやれるだけやって見たい と思ったからだった。

もし打開が出来なくとも、死ぬのはいつでも死ねると思われたのだ。

そこでその時、幸福な人間である筈(はず)の私は、
毎晩着物を脱いで 独りぼっちでいる私室の、
戸棚から戸棚に渡された横桁(よこげた)に首を縊(くび)ることがないように、
身辺からロープ類をかくしてしまい、
あるいはまた、あまりにやすやすと
自分をこの世からおさらばさせる危険物の誘惑に乗らないために、
銃を携帯して 猟に出あるくのもやめてしまった。

私は 何を望んでいるのか、自分でも分からなかった。

私は 生を恐れ、

それからのがれようと もがきながら、

一方なお 何かを生に期待しているのだった。



この事が起きたのは、

申し分のない幸福 とされているものに、
各方面において 私が恵まれていた時のことだった。

それは私がまだ 50歳に充たぬ頃である。

私には 善良な、愛し愛される妻や、立派な子供達や、私が別に骨を折らなくとも、
自然に生じ また増大して行く莫大な財産があった。

私は それ以前のどの頃よりも 身内の者や友人達に尊敬され、
他人に賞(ほ)めそやされ、殊更(ことさら)うぬぼれなくとも、
自分の名声が 輝かしいものであると考えることが出来た。

のみならず私は 狂気、あるいは精神的に不健全といえないどころか、

反対に 自分の同年輩の人々の間にめったに見かけない程の、
精神的肉体的力を持ち合わせていた。

肉体的には、草刈りで 農夫達におくれをとらずに働くことが出来た。

智的労働では、8時間乃至(ないし)10時間 ぶっつづけに仕事が出来、

その無理が あとに尾を引く ということもなかった。

そうした状態にありながら、

私はもう生きて行けない といった心境に直面し、死を恐れて、
自殺などすることのないよう 自分に対して からくりをしなければならなかったのだ。