2-1 私の善良な叔母

いつの日か私は、若い頃のこうした10年間の生活の歴史を
--いと感動と教訓に富んだ歴史を--語るであろう。

実に多くの人達が、同様のことを経験したであろうと思う。

私は 衷心(ちゅうしん=心の底)から善を願った。

でも 未(いま)だ年若く、情欲もあるのに、
私は善を探し求めるのに ひとりぼっち、全くのひとりぼっちだった。

私が自分の最も奥深い願い、つまり 徳性上より善良になりたい
という願いを口にしようとする度(たび)に、
いつも私は 軽侮(けいぶ=人を見下してばかにすること)と
嘲笑(ちょうしょう=あざわらうこと)に出会った。

一方 いとわしい情欲に身を任せるや否や、
みなが私を賞讃したり
鼓舞(こぶ=大いに励まし気持ちを奮いたたせること)したりするのだった。

名誉欲、権勢欲、物欲、色欲、
増上慢(ぞうじょうまん=自分を過信して思い上がること)、
瞋恚(しんい=怒ること、いきどおること)、復讐欲、---
---これらは全て あがめ奉(たてまつ)られていた。



こうした情欲に身を任せながら、私はだんだん人並みのおとなに似て来て、

みなが私に満足しているのを感じた。

一緒に暮らしていた、類(たぐ)い稀(ま)れなほど清浄な女だった、
私の善良な叔母すら、 いつも私に、

あんたが夫ある婦人と関係を持つことほど願わしいことはない
と思っている旨(むね)を告げたものだった。

Rien ne forme un jeune homme, comme une liaison avec une femme comme il faut.

(ちゃんとした御婦人と関係を持つことくらい、
若い殿方(とのがた=女性が男性を丁重にさしていうときに用いる)の
教育になるものは ありませんからね。) と 彼女は言ったのである。

その外に 彼女が私に願った幸福というのは、

私が副官に、それも出来るものなら 皇帝づきの副官になるということだった。

そして更に 幸福の最大なるものとして、

私が 非常に富裕な令嬢と結婚し、

その結婚の結果として、なるべく多くの農奴を持ち得るように願った。



おののきと 唾棄(だき)の念と、心の疼(うず)きを覚えることなしに

その頃のことを思い浮かべることは出来ない。

私は 戦争で 人殺しをやったし、

人殺しをやるために 決闘を挑(いど)みもした。

カルタで損をし、百姓達の労苦の結晶を浪費もした。

また 彼らを罰したり、いたずらをしたり、

欺いたりもした。(あざむく=言葉巧みにうそを言って、相手に本当だと思わせる)

嘘吐き、泥棒、色んな姦淫(かんいん=男女が道義に背いた肉体的交渉をもつ)、

泥酔、暴力、殺人-------私のやらない犯罪は なかった といっていい程である。

しかもこれらの全てに対して、

私の同輩は 私を賞(ほ)め、私を わりに道徳的な人間だと思っていたし、

今でも 思っているのである。

こんな風に 私は10年の歳月をすごした。