11-2 富裕なる有閑無為な我々は 狂人だということを悟った

もしも自分の生涯を 拷問や 断首に過してきた死刑執行人とか、

ぐでんぐでんの よっぱらいとか、

あるいは一生涯 暗い部屋に坐っていて、
この部屋を汚し、この部屋から出たが最後 自分は滅びてしまう
と想像している狂人とか、

--- そういう人が 

生とは何か?


を自問したら どうなるだろう?

明らかに彼は この問いに対して、

生とは最大の悪である、とより外の答えを得ることは出来まいし、

またその狂人の答えは 完全に正しくもあろうが、

ただそれは 狂人自身にとってのみである。



私もそうした風の狂人だったらどうだろう?

我々みんな、富裕なる有閑無為な人達は、

そうした狂人だったらどうだろう?

いや、私は、我々が 事実そうした狂人だということを悟った。

この私はもう、間違いなくそうした狂人だったのだ。



実際のところ、

鳥は翔(と)び、食べ物を集め、巣をつくらねばならぬように出来ている。

それで 鳥がそうするのを見れば、

彼らの喜びは そのまま 私の喜びと感ぜられるのである。

山羊(やぎ)や兎(うさぎ)や狼(おおかみ)は、

食をあさり、繁殖(はんしょく)し、
仔を育てるように出来ている。


で 彼らがそれをやる時、

彼らが幸福で、彼らの生き方が合理的であるという
確固たる意識が 私にあるのである。



では 人は何をなすべきか?

人も 動物と同様 生活のために稼がねばならないが、

ただ 彼が一人で稼ぐなら 滅びてしまうという違いがある。

彼は 自分のためにでなく、

万人のために 額に汗せねばならない。

そこで彼がそうするなら、

彼は幸福で、彼の生活は合理的であるという、
確固たる意識が私に生ずるのである。



自分の物心ついて以来の30年間に 私は何をやって来たか?

私は 万人の生活のために稼がなかったばかりか、

自分のためにすら 稼がなかった。

私は 寄生蟲的な暮しをやり、

何のために自分が生きているのかと自問して、

何のためでもない という答えを得た。

もし 人間の生活の意味が 生活のために額に汗することにあるならば、

30年間も 生活のために稼ぐことなく、

寧(むし)ろ 自分や他人の中の生活を滅ぼしていた私が、

自分の生活は無意味であり 悪である という答え以外の答えを

どうして受け取ることが出来ただろう--- 

---私の生活は実際 無意味でああり 悪であったのだ。



全世界の生活は、誰かの意思によって行われている。

---誰かが 全世界の生活と、我々の生活でもって、何か自分の仕事をしている。

この意思の意味を悟ろうという希望を持つためには、

何よりも先(ま)ず、その意思を遂行(すいこう)すること、

その意思が 我々に求めるものを為(な)すことが必要である。

もし私が 自分に求められるものを為さなければ、

自分が何を求められているかが 決して分らないだろう。

況(いわん)や 我々全部が、

全世界が何を求められているかは、もっと分らないであろう。