3-1 《進歩》に対する妄信

こうして私は、そうした昏迷(こんめい)に身を任せながら、
更に結婚前の6年間を過ごした。

その期間に 私は外国旅行をした。

ヨーロッパでの生活と、ヨーロッパ第一線の、そしてまた学のある人達との交際は、
ますます私に、自分の安住する一般的自己完成の信仰を 固めさせた。

というのは、そっくりそのままの信仰を、私は彼らの中に見い出したからである。

その信仰は私のなかで、当代の大多数の教養人種の場合のような
ありふれた形態をとった。

その信仰は 《進歩》 という言葉で表現された。

当時私には、この言葉に ひとかどの意味があるように思われた。

私にはまだ、全ての生きた人間がそうあるように、
いかによく生くべきか という問題に悩まされている私が、
プログレス(進歩)に沿って生きること と答えるとき、

波風に翻弄(ほんろう)される小舟に乗った人が、
彼にとって 肝心な唯一の 《いずれの方向を目指すべきか?》
という問題に答えることを忘れて、
《どこかへ行く所へ行くさ》と言う場合と まるで同様だ、

ということが 分からなかったのである。



当時 私は そのことに気がつかなかった。

ただ 時たま、理性でなくて感情が、
人々がそれを盾にして自(みずか)ら自分の人生無理解を
蔽(おお)いかくしているところの、現代一般のこの妄信に
反撥(はんぱつ)を感ずるのだった。

例(たと)えば パリ滞在中 死刑執行の実況を見たことが、

私のプログレス(進歩)に対する妄信のはかなさを 思い知らせた。

首と銅とが切り離され、

二つとも 別々に 箱の中にごとん と落ちるのを見た時、

私は 理知でなく、自己の全存在によって、
存在するものは 全て合理的であるという理論も、
プログレス云々の理論も 
この行為をジャスティファイ(正当化)することは出来ないし、

よし世界中の悉(ことごと)くの人々が いかなる理論を持ち出し、

そして開闢(かいびゃく=世界の始まりの時)以来ず~っと
それの必要性を主張して来たとしても、

私はそれが必要なことではなく、邪(よこしま)なことであることを知っており、

したがって 何が善で また必要なことかについては、

世人(せじん=世の中の人)が言ったりしていることとか、
プログレス云々とかでなく、

かく言う私自身が、全心情をかけての裁定の主体でなければならない
ということを悟ったのである。



進歩への妄信が 
人生理解に間に合わぬことを意識させたもう一つの事件は
私の兄の死だった。

聡明で善良でまじめな人間であった彼は、
若い身空で病魔の虜囚(りょしゅう)となり、一年以上苦しみ抜き、
痛々しく 死んで行った。

なぜ生きて来たのかも、況(いわん)や なぜ死んでいくのかも悟り得ぬまま。

彼が徐々に苦しみながら死んで行く時、私に対しても彼に対しても、
いかなる理論も、これらの問いに対して 何も答えることは出来なかった。

然(しか)し これらのことは ただ時たまの疑念にすぎなくて、

本来は 依然として進歩の信仰に身を委(ゆだ)ねつつ暮らし続けたのである。

《全てのものは 進歩発展するし、私自身も そうする。
ところで 何のために私が全てのものと一緒に こんな風に進歩発展するかは、
まぁ そのうち分かるだろう。》

言って見れば 当時の私は、自分の信仰を こんな風な形に言い表わしたでもあろう。