然(しか)し、今でこそそれが残酷な要求だったとはっきり言えるけれど、
当時は そう考えた訳ではなくて、
--- ただもう 名状(めいじょう=物事の有様を言葉で表現すること)し難い
苦しさを覚えただけだった。
私は既に、若い頃の、人生が何もかも分っているつもりだった、
そんな状態にはいなかった。
私は 信仰なくしては、滅亡の外に なんにも、
間違いなくなんにもない と思ったからこそ 信仰に縋(すが)りついたのだし、
したがって 信仰を放棄する訳には行かず、
それに屈服したのである。
それに私は 自分の心の中に、
この屈辱を堪えしのぶ助けとなる感情を発見した。
それは 謙遜(けんそん)と敬虔(けいけん)の感情だった。
私は敬虔になり、信じようと望みながら、
神聖冒涜的感情なしに その血と肉とを嚥下(えんか=口の中のものを飲み下すこと)したが、
早や傷を負っていたのである。
そして 行く前から、行けばどんな眼に遭うか分っているので、
もう二度と聖餐式(せいさんしき)に行くことは出来なかった。
☆
私は相変わらず きちんと教会の儀式を遵守(じゅんしゅ)し、
私が信奉する教えの中に 真理があると信じつづけた。
そしてやがて、今では私にはっきりしているけれど、
当時は奇妙に思われた事態が 私の身に起きたのだった。
☆
目に一丁字なき農民巡礼の、
(目に一丁字なし=目にいっていじなし=一つの字をも知らない。文盲。)
神について、信仰について、救済についての話をきき、
私に信仰上の教えが説き明された。
民衆と近づき、彼らの人生や信仰に関する考えをきいて、
私は日毎(ひごと)ますます真理を理解して行った。
聖僧伝や 聖人説教集を読む時も同様だった。
これらは私の愛読書になった。
奇蹟物語については、
これは思想を表現するための寓話(ぐうわ)のようなものだと見て除外しても、
とかくこれらの読書が私に 人生の意味を開き示してくれた。
その中には マカーリイ大帝の生涯、イオサフ皇子の生涯(仏陀伝)があり、
また金口(きんこう=立派な言葉)イオアンの言葉、
井戸の中の旅人の話、黄金を見出した修道僧の話、
税吏ピョートルの話などがあった。
そこには、死が生を滅ぼし去るものでないことを
一(いっ)せいに示す殉教者伝があり、また文盲(もんもう)で愚かで、
教会の教えについて何も知らないながら 救済された人の伝記があった。
☆
ところが一方 学問のある信者達と近づいたり、
彼らの書物を手にとるや否や、
何か自分自身への疑惑、不満、議論を吹きかけたい意地悪な気持ちが
私の胸中に湧(わ)き、彼らの言葉を深くさぐればさぐるほど、
自分が真理から遠のき、滅亡に向うことを感ずるのだった。