3-2 教える資格は無い

外国から帰って 私は田舎に落ち着き、
農民学校の仕事に手を染めた。

この仕事は 殊(こと)のほか 私の気に入った。

というのは この仕事には、その頃 私にははっきりして来て、
早や正視に堪えぬ感じを催させたところの、
文学上の教師としての活動の中の 
あの 欺瞞(ぎまん)がなかったからである。

この場合もやっぱり私は、進歩の名において活動したにはしたものの、

早や 進歩そのものに対する批判的立場にあった。

進歩 というものは、その或る種の現象の中では、誤った方向に発展して来ている。

だから最も素朴な人種、農民の子弟に対して
完全に自由な態度で接し、
彼らが 自ら欲するところの進歩の道を択(えら)ぶように仕向けねばならない。

と、こんな風に 自分に言いきかせた。

それでも 本当のところ私はやっぱり、何を教ゆべきかを知らないで教えようという、
解き難い課題のまわりを 相変わらず堂々めぐりしていたのである。

文学界の雲上人(うんじょうびと)達の間にあっては、

私は 何を教ゆべきかを知らずに教えることは出来ない と悟った。

というのは これら雲上人達は、みんな てんでんばらばらの事を教え、

互いに したり顔(=得意顔)の論争に紛れて、
辛うじて 自分の無智を忘れているといった始末だった。

ところが こうして農民の子弟と一緒にいると、

子供達に 彼等の欲するに任せて学ばせることによって、

この醜態を避け得るものと私は思ったのだ。

私は 自分の欲望
--心の奥底では 自分は何が大事なことかを知らないのだから、
その大事なことについて 何も教える資格はないことを百も承知でありながら、
やっぱり教えたい という欲望--を充(み)たすために、

自分がどんなにポーズをつくったかを思い起こせば、
今でも おかしくなって来る。

学校の仕事を始めて1年の後、私は、自分では何も知らないで
他人に教え得る方法を知らんがために、再び外国へ旅立った。



そして私には、外国で その方法が習得できたように思えた。

そこで これらの全ての新知識に身を固めて、
農奴解放の年にロシアに帰り、農事調停員の椅子を占め、

教育のない一般の人々を 学校で、
また 教育のある人達を 自分が発行し始めた雑誌を通じて 教えだしたのである。

事は まずまずうまく運ぶかに思えた。

然(しか)し私は、どうも少し 精神的に健全とは言えず、
ずっとそれを続けることは出来まいと感じた。

で、もしも私に もう一つの生活の側面、
つまり まだ私が経験したことがなく、
そして私に救いをもたらしてくれそうに思えたものがなかったら、

あるいは その15年後に直面した絶望に、その時 直面していたかもしれない。

---それは外でもない、結婚生活だった。



1年の間 私は調停員、学校、雑誌の仕事に従事して、

何よりも ごたごたにまき込まれるのに疲れ果てた。

調停における争い事が 私にはやり切れなく、
学校事業の効果も すっきりしなかった。

相(あい)も変わらず、みなを教えながら、
実は 自分が何を教ゆべきかを知らぬことをかくしておきたい、
という願いからのみなる 雑誌発行のごまかしが、
私には ひどく忌(い)まわしくなって来た。

そして そのあげく、

肉体的によりも寧(むし)ろ 精神的に参ってしまい、

何もかも放擲(ほうてき=投げ出すこと)して、
パシキール人の住む広野へ旅立った。

清浄な空気を吸い、馬乳酒を飲み、原始的生活をするために。



そこから帰って、私は結婚した。

そして 幸福な家庭生活の新たな諸条件が、
人生の普遍的意義の探求から、もうすっかり私を引き離してしまった。

当時 私の全生活は、家庭に、妻に、子供達に、

したがって 生活の資を増大する配慮に集中されていた。

もう その前から 一般的完成、
あるいは進歩への努力にすり換えられていた完成への精進努力は、

今や なるべく私と私の家族に有利なように
という努力に すり換えられてしまったのである。



こうして 更に15年が過ぎて行った。

3-3 生命力の停滞--どう生き、何をしたらいいのか

その15年間ずっと、私は文士稼業を くだらぬことだと思って来たにもかかわらず、

やっぱりずっと 物を書きつづけて来た。

私はすでに 文士稼業の誘惑、
莫大な金銭的の、そしてまた 私のくだらぬ作品に対する拍手喝采の誘惑の味をしめ、

自分の物質的境遇改善と、私自身 及び万人の 生の意義に関する
心中(しんちゅう=内心)の凡(あら)ゆる疑問圧殺の手段として、
その誘惑に 身を委ねたのであった。



私は 私にとって唯一 いつわりのないところのもの--出来るだけ
自分と自分の家族の利益のために生きねばならぬことを教えながら
著作をやったのだ。



こんな風に 私は暮らして行った。

ところが 5年前から私に 何か非常に奇妙な現象が生じ出した。

最初に いぶかりの念、

どう生きたらいいのか、

何をしたらいいのか分からなくなる といった、生命力の停滞の瞬間が
私の中に起き始め、

そのために私は取り乱し、意気銷沈(いきしょうちん)した。

然し それも間もなく過ぎ去って、私は依然 従前通りの暮らしに戻った。

それ以来、この いぶかりの瞬間は ますます頻繁に、

そして いつも同じ形で繰り返されるようになった。

この生命力の停滞はいつも、

なぜ? そしてそれから? という疑問の形で表れるのだった。



最初私には、 そんなものは、まぁ、無駄な、見当はずれの疑問にすぎない、

といった気がした。

そんなものはすっかり分かり切ったことで、その解決に手を染める気にさえなれば、

私にとっては それは何でもないことである。

ただ、今のところ そんなことをやっている暇がないが、思い立ちさえすれば、
すぐ解答なんか見つかるんだと思われた。

然しながら この疑問は ますます頻繁に繰り返され、ますますしつこく解答を迫り始め、
雫(しずく)がいつも一点に集中して落ちるように、解答を与えられぬこの疑問は、
重なり合って 一つの黒い斑点になって行った。



不治の内部疾患に犯された、あらゆる患者に起きるようなことが起きた訳である。

最初は 患者が気にもとめない程 軽微な、
種々(しゅじゅ=いろいろ)の不調の徴候が現れる。


其の後 これらの徴候は ますます頻繁に繰り返され、

ついにはもう 絶え間のない苦悩と化してしまう。

苦悩はますます募(つの)り、患者はあっという間もなく、
彼が単なる不調ととっていたものが、彼にとってこの世において最も厳粛なもの、
--外ならぬ死そのものであることを悟るのである。



まさに そうしたことが私に起きたのである。

私は、これは かりそめ(=一時的)の不調などでなく、何か非常に重大なもので、
この疑問が相変わらず繰り返されるなら、
何とかそれに解答しなければならない と悟った。


そこで私は解答しようと試みた。

そうした疑問は くだらない、単純な、子供じみた疑問に思えた。
然しながら、私がそれに手をつけ、解決しようと試みるや否や、
私は第一に それが決して子供っぽい、ばかばかしい疑問なんかではなく、
人生における 最も重大な 深遠な疑問である ということ、
それから 第二に、どんなに考えて見ても、どうにもこうにも 私には
その疑問を解く力がない ということを思い知った。

サマーラの土地の世話とか、息子の養育とか、著作とかをやる前に、
なぜ そんなことをするのかを知る必要がある。
なぜ? ということが分からなければ、
私は何もやれないし、また 生きていくことも出来ない。


当時 私がすごく熱中していた 農事経営についてのもくろみの合間に、
ふと 次のような疑問が浮かんだりするのだった。

《よろしい、お前はサマーラ県に6千デシャチーナ
(訳者註、1デシャチーナは1,092ヘクタール)の土地と、300頭の馬が持てるだろう。
が、それから?》

そこで私は 完全に呆然(ぼうぜん)となって、
その先 どう考えたらいいか分からなくなるのだ。

あるいは 子供達の養育について あれこれ考えながら、
ふと、《何のために?》と自問する。

あるいは、どうしたら一般民衆の福祉が達成出来るか と思いめぐらしながら、
ふと、《それが私に何の関係がある?》と自問する。

あるいは 自分の作品が私にもたらすであろう名声について思いながら、

《よろしい、お前は ゴーゴリ、プーシュキン、シェークスピア、モリエール、
その他 世界のすべての作家以上の名声に輝くかもしれない。
--が、それがどうだというのだ?》と自問する。

するともう私は、なんにもなんにも答えることが出来ないのだった。

疑問は待っていてはくれないから、今すぐ答えねばならない。

答えない限り、生きて行けないのだ。

ところが その答えが見当たらないのである。

私は 自分の立っている地盤が潰(つい)え去って、もう足場がないこと、

私が それを頼りにこそ生きて来たところのものが、早や無くなったこと、

これでは 生きるよすがもない ということを感じた。

4-1 50歳に充たぬ頃--幸福な人間であるはずの私

私の生活は行き詰った。

私は呼吸し、食べ、飲み、眠ることは出来た。また 呼吸や飲食や睡眠などは、
やめられる筋合いのものでもなかった。

でも それの充足を合理的と感ずるどんな希望も私にはなかったのだから、
生活そのものが なかった。

よし 私が何かを希望したとしても、私には前以(まえもっ)て、
その希望を充たしても充たさなくても、
どうせ 何の足しにもなりはしないことが分かっていた。

よし 女魔法使いがやって来て、私の希望するものを叶えてやろうと申し出ても、
何といっていいやら わからなかっただろう。

また 若(も)しも私に、酩酊の折りなど、希望とは言えないが、
従前からの希望の惰性のようなものが現れるとしても、
酔いが覚めるや、そんなものは欺瞞にすぎなくて、
何も望む程のものでないことが分かるのである。

真実を知ることすら、私には望ましくなかった。

なぜなら、その真実がどんなものか、見当がついていたからである。

真実とは、人生は無意味である ということだった。

まるで私は 暮らしつづけ、進みつづけ、

あげくは 断崖に行き着いて、

この先には 滅亡の外 何もないことが はっきり分かった、といった風だった。

止まることも出来ないし、

引き返すことも出来ないし、

前途には ただ苦悩と まぎれもない死
-- 完全な絶滅以外の何ものもないことを見まいと目をつむることも出来なかった。



私には、健康で幸福であるこの自分が、
もうこれ以上生きて行けないと感ずるという事態が生じた。

何か抗し難い力が、
何とかして人生からのがれるようにと 私を誘(いざな)うのだった。

でも 私が自殺を望んでいた とは言えないのである。



私を 人生からのがれるよう誘った力は、望みなどというものよりもっと力強い、
もっと横溢した(おういつ=あふれるほど盛んな)、もっと普遍的なものだった。

それは 従前(=これまで)の生への精進努力に似て、
ただそれが 反対の方向を目指しているのであった。

私は全力をあげて 生からのがれようと もがいた。

以前に 生の改善の想念が生じたように、

今度は 自殺の想念が ごく自然に生じて来た。

この想念が 凄(すご)く魅惑的なので、
私は あまりあわててそれを実行に移すことがないように、
自分自身に対して からくりをしなければならなかった。

私が あまり事を急ぐのを欲しなかったのは、ただ、
何とかこの窮状を打開するためにやれるだけやって見たい と思ったからだった。

もし打開が出来なくとも、死ぬのはいつでも死ねると思われたのだ。

そこでその時、幸福な人間である筈(はず)の私は、
毎晩着物を脱いで 独りぼっちでいる私室の、
戸棚から戸棚に渡された横桁(よこげた)に首を縊(くび)ることがないように、
身辺からロープ類をかくしてしまい、
あるいはまた、あまりにやすやすと
自分をこの世からおさらばさせる危険物の誘惑に乗らないために、
銃を携帯して 猟に出あるくのもやめてしまった。

私は 何を望んでいるのか、自分でも分からなかった。

私は 生を恐れ、

それからのがれようと もがきながら、

一方なお 何かを生に期待しているのだった。



この事が起きたのは、

申し分のない幸福 とされているものに、
各方面において 私が恵まれていた時のことだった。

それは私がまだ 50歳に充たぬ頃である。

私には 善良な、愛し愛される妻や、立派な子供達や、私が別に骨を折らなくとも、
自然に生じ また増大して行く莫大な財産があった。

私は それ以前のどの頃よりも 身内の者や友人達に尊敬され、
他人に賞(ほ)めそやされ、殊更(ことさら)うぬぼれなくとも、
自分の名声が 輝かしいものであると考えることが出来た。

のみならず私は 狂気、あるいは精神的に不健全といえないどころか、

反対に 自分の同年輩の人々の間にめったに見かけない程の、
精神的肉体的力を持ち合わせていた。

肉体的には、草刈りで 農夫達におくれをとらずに働くことが出来た。

智的労働では、8時間乃至(ないし)10時間 ぶっつづけに仕事が出来、

その無理が あとに尾を引く ということもなかった。

そうした状態にありながら、

私はもう生きて行けない といった心境に直面し、死を恐れて、
自殺などすることのないよう 自分に対して からくりをしなければならなかったのだ。

4-2 馬鹿みたいにぼんやりと頂点に立っている

その時の精神状態は、言って見れば 私に次のように感ぜられた。

--私の生涯は、一種の、
何者かが私の上に仕組んだ 愚劣で意地悪なメロドラマにすぎない、と。

私は その自分を創造した《何者か》を認めなかったにもかかわらず、

何者かが私をこの世に生まれさせて、意地の悪い、愚劣なふざけ方をしている、
といった表象形式は、私にとって 最も自然な表象形式だったのだ。



私にはどうでも、今、どこかで何者かが、
私がたっぷり30年乃至40年生きつづけ、
学び、成熟し、心身共に発達し、
そして 現在の私のようにすっかり思考力も固まって、
そこから人生の全展望が開ける生の頂点に達して、

--さてそこで、人生にはなんにもないし、過去にもなかったし、
未来にもないであろうことが はっきり分かって、

馬鹿みたいにぼんやりと その頂点に立っているのを見て 面白がっている、
といった気がした。

そいつにしたら ふき出したいだろうなぁ-- といったような。



然(しか)し その私を嘲笑する何者かが存在するにしろ しないにしろ、

そんなことで私の悩みが軽減される訳のものでもなかった。

私は 自分のどんな行為にも、また生活全体にも、
なんら合理的な意義を附することが出来なかった。

私はただもう、なぜ最初からそのことが分からなかったのだろう と不思議だった。

そんなことはもう 疾(と)っくにみんなに分かっているはずだ。

今日-- でないなら明日、病気が、死が 愛する人々を、
(すでに過去において 眼のあたり 起きたことだが)そして私を襲い、
悪臭と蛆(うじ)との外 なんにも残らなくなるのだ。

私の業績は、よし どんなものにせよ、早晩すっかり忘れ去られ、

そして第一に この私が 元も子もなくなってしまう。

だのに一体 何のために齷齪(あくせく)せねばならないのか?

どうして人は この事実に眼を瞑(つむ)って生きて行けるのか?

-- 全く驚く外はない!

生に酔いしれている間だけは、生きて行かれもしよう。

でも 酔いがさめるや否や、

それは何もかも欺瞞、しかも 愚劣な欺瞞であることを見ないではいれまい。

いや こうなれば全く、滑稽とか巧妙どころの騒ぎでなく、

-- ただもう 残酷で愚劣という外(ほか)はないのだ。



古い東洋の寓話の中に、廣野(=広野)で怒り狂う野獣に出会った旅人の話がある。

旅人は 野獣をのがれるため、水のない井戸に逃げ込むのだが、その井戸の底には、

口を開けて 彼をのみ込もうと構えている一匹の竜がいるのが見える。

そこで この可哀そうな男は、怒り狂う野獣に滅ぼされるのを恐れて、
井戸からはい上がる勇気もなく、
竜にひとのみにされそうで、井戸の底にとび降りることも出来ず、
中途の隙間に生えている潅木(かんぼく)の枝につかまっている。

手がだんだん疲れて来て、彼は間もなく 両面から彼を待ち構える滅亡に
身を委ねる外ないことを感ずる。

それでも彼はつかまっているのだが、ふと見ると 二匹の、
一つは黒い 一つは白い鼠が、彼のつかまっている潅木の幹の周辺を
規則正しく ぐるぐる廻りながら、それを齧(かじ)っているのに気がつく。

今にも潅木が倒れちぎれると、彼は竜の口へ落ちて行く。

旅人はこれを見て、所詮(しょせん)もうおしまいだと知る。

然し ぶら下がっている間に彼は あたりを見廻して、
潅木の葉に 蜜の雫があるのを発見し、舌をのばして それを嘗(な)める。

こんな風に私も、死の竜が どうでも私をやっつけようと待ち構えているのを知りながら、

生の小枝にしがみつき、どうしてまた こんな苦境に陥ったのか、
訳が分らないでいるのである。

そこで私は、以前に私を喜ばした蜜を嘗めようとして見る。

でもこの蜜は、も早 私を喜ばさない。

そして一方 白と黒の鼠-- 昼と夜--が、私のつかまっている小枝を嚙(かじ)っている。

私には竜の姿がはっきり見えて、蜜の味が ちっとも甘くないのである。

私がじっと見つめるのは、--ただもう 宿命の竜と鼠の姿--であって、
それから眼を離すことが出来ない。

これはもう 寓話などではなく、これこそまぎれもない、
論駁(ろんばく=相手の論や説の誤りを論じて攻撃すること)の余地のない、
誰にも分り切った真実なのである。



竜の恐怖を蔽いかくす、従前の生の喜び という欺瞞は、

もう私をだますことは出来ない。

どんなに私に、

お前は 生の意義を悟りっこない、

考えるな、ただ生きよ、

と言っても、そんな訳には行かない。

私は以前から、あまりにも永い間 そんな風に暮して来すぎたのだ。

今では私は 昼と夜、私を死へと導く矢の如き光陰を見ずにはいられない。

私は それだけを見つめる。

なぜなら それだけが--唯一の真理である。

ほかのものは--みんな まやかしにすぎない。

4-3 闇の恐怖

何よりも永い間 この仮借なき真実から 
私の眼をそらせていた二滴の蜜

-- 家族への愛と、
私が芸術と呼んでいたところの創作活動への愛--

も早や私にとって 甘さを失ったのである。

《家族か--と私は自分に言う。でも家族
--妻や子供達、彼らもやっぱり人間じゃないか。

彼らだって、そっくり私と同じ条件の中にいるではないか。
彼らも嘘偽(うそいつわり)の中で 暮して行くか、
あるいは 恐るべき真理を見るかせねばならない。

なぜ彼らは生きねばならないのか?
なぜ私は彼らを愛し、保護し、育て守って行かねばならぬのか?
私が感ずるような絶望を感じさせるためか?
あるいは 痴呆状態に導くためか?
彼らを愛するからといって、彼らから真実をかくすことは出来ない。

一歩々々と知識が増す毎(ごと)に、
彼らはこの真実に近づいて行く。

その真実とは---死》



《では芸術は? 詩は?》

うまうまと世人の賞讃を博したおかげで、私は永い間、
全てを無にする死、私の業績もその思い出も無に帰する死がやって来るにもかかわらず、
それをやる価値のある ひとかどの仕事だと自分を説得して来た。

然し 間もなく私は、これまた欺瞞にすぎないということを見てとった。

私には 芸術が生の装飾、生への誘いであることが はっきりしていた。

ところで 生が私にとってその魅力を失ったのに、
どうして私に他人を誘うことが出来るだろう?


私が自分自身の生を生きないで、
他人の生活が その波の上に私を翻弄していた間、
また私がそれを言いあらわし得なくても、とにかく生に意味があると信じていた間は、
--詩や芸術における いろんな種類の人生の反映が私に喜びをもたらした。

私には この芸術の鏡の中に 生の姿を眺めることが愉快だったのだが、

私が生の意味を探し始めるや、

どうでも自分で生きることの必須性を感じ始めるや、

この鏡は 私にとって用のない、

余計で滑稽な、あるいはむしろ にがにがしいものに変ったのである。

私は 自分が鏡の中に見るところのもの、
つまり 私の置かれた立場が 愚劣で絶望的である
という事実に 慰みを覚える訳に行かなかった。

私が心の底で、自分の生活が意味を持っていることを信じていた頃は、

その鏡を見て 喜ぶのもよかった。

その頃は この光の戯(たわむ)れ
--人生における喜劇的、悲劇的、感動的、美的、
戦慄的(せんりつてき)な--が 私を慰めた。

然し、私が、人生が無意味で恐怖に充ちていることを知った時、

この鏡の中の戯れは、

も早や 私をうかれさせることは出来なかった。

いかなる蜜の甘さも、私が竜と、私を支えている灌木を嚙る鼠を見た時、

私に美味を感じさせることは出来なかった。



が、それだけではない。

もし私が 人生に意味なぞないとあっさり観念出来たら、

そのことを知っても 騒がなかったろうし、

それが自分の宿命だと悟ったでもあろう。

でも私は、そうした境遇に安住できなかった。

もしも私が森林に住んでいて、
そこからの出口のないことを知っている男のようだったら、

私は生きて行けたであろう。

でも 私は森林にさまよい込んで、迷ったことに恐れおののき、

何とか道に出ようとあがく男-- 一歩々々ますます迷い込むことが分っていながら、
やっぱり あがかずにはいれない男のようものだった。



そのことが何よりも恐ろしかった。

そしてその恐怖からのがれるために、自殺を思ったのである。

私は 自分の前途に待ち構えるものに おじ毛をふるった。

その恐怖の方が、自分の置かれた境地自体より
もっと恐怖に充ちている ということも 分ってはいた。

でも私は、じっと辛抱強く破局を待つことが出来なかった。

どうせそのうち 心臓の血管が裂け、

あるいは何か内臓が破裂して、何もかもおしまいになるんだとは、

理屈の上ではどんなに分っていても、

やっぱり辛抱強く 破局が待てなかった。

闇の恐怖があまりにも大きくて、

私は一刻も早くロープか銃で その闇を脱出したかった。

そうした気持ちこそ 何よりも強く、

私を自殺へ引き寄せたのである。

5-1 学問の中を探しまわった

《だが ひょっとすると、私は何かを見落としていないだろうか?
何かを理解し損っているのではないか?》

幾度か私は こう自問した。

《こうした絶望的状態が、人間に固有の宿命だなどということは、
あり得るはずがないではないか!》

そこで私は、人々が獲得したあらゆる学問の中に、

私の疑問に対する説明を探した。

苦しみながら 永いこと探した。

のんきな好奇心とか、また漫然とした気持ちで探したのではなく、

滅亡に直面した人が 救いを探し求めるように、
苦しみながら、執拗に、昼夜の別なく探した。

-- それでも なんにも見つからなかったのである。



私は あらゆる学問の中を探しまわった。
それでもやっぱり説明が見つからなかったばかりではなく、
私のように 学問の中にそれを探したものは、
みんなちょうど私みたいに、なんにも発見出来なかったのだ
ということを 確信するようになった。

それも単に発見出来なかったばかりでなく、
私を絶望に導いたところのそのもの、即ち 所詮人生は無意味である
という事実こそ、人間に手の届く唯一の疑いなき知識であるということを、
はっきり承認しているのだった。



私は どこもかしこも探したし、

また私が過した学究生活のおかげで、それと同様に、
学者社会との交際によって 私には自分の学問をすっかり私に、
書物でばかりでなく談話においても披露することを辞せぬ
ありとあらゆる学問分野の学者達自身と接することが出来たという事実のおかげで、

私は 学問がおよそ人生問題に答え得るところの全てを知ったのである。

私は永い間どうしても、学問というものが人生問題に対して
現在答えているようなこと以外には、
何も答え得ない ということを信ずることが出来なかった。

永いこと私には、実人生の諸問題と何らかかわりのない
その諸命題を説き立てる科学の、物々しい、勿体ぶった調子に眼を注いで、
自分は何か理解し損っているのではないかという気がした。

永いこと私は学問に対しておじ気を懐(いだ)き、
学問の与える答えが 私の疑問にぴったりしないことの原因は、
学問のせいではなくて、私の無理解のせいだという気がした。

でも 事は私にとって冗談半分でもなく、気なぐさみでもなく、
全生活の問題だった。 

そこで私はいや応なしに、

私の疑問こそ、あらゆる学問の土台となるべき当然の問題であり、

こうした疑問を持つ私が悪いのでなくて、

もしも科学がおこがましくも これらの疑問に答え得るとするならば、

その方にこそ罪はあるのだ という確信に達したのである。



私の疑問-- 50歳の時 私を自殺に導こうとした--は万人の胸中に、

物心つかぬ幼児から最も聡明な老人にいたる万人の胸中に横たわる、

最も単純な疑問であって、

私が実際に経験したように 

それなしでは 人生そのものが不可能であるところのものである。

その疑問というのは 次のようだった。

《私が今日なすこと、明日なすであろうことから 何が生ずるのか?

-- 私の全生涯から 何が生れ出るのか?》



この疑問を別な風に言い現わせば、次のようになるであろう。

《一体なぜ、私は生きて行くのか? 
なぜ何かを望むのか?なぜ何かを為すのか?》


もっと別な言い方をすれば、次のようにも言える。

《私の生に、どうにものがれようのない、
そして目前に迫っている死によって滅ぼされない、


なんらかの意味があるのだろうか?》



この、表現こそ様々でも唯一つである疑問に対する答えを、
私は人間の学問の中に探した。


そして私は この疑問に対して あらゆる人間の学問は、

いわば向い合う二つの半球にわけられていて、

相対する尖端に各々 南極北極があるという具合なのを発見した。

一つは否定的な、他は肯定的な。

然しながら 否定肯定いずれの極にも、

人生問題に対する答えはなかったのである。



一方の系列の学問は、いわば問題の存在を認めないで、

その代り それに頓着(とんちゃく=深く気にかけてこだわること)なく
自分で提起した問題に、明白かつ正確に答える。

それは経験科学の系列で、その尖端には数学がある。

も一つの学問の系列は、問題の存在を認めるけれども、
それに答えることをしない。

それは思弁的学問の系列で、その尖端には形而上学がある。



ずっと若い頃から、私は思弁的学問に興味を覚えた。

でもその後、数学や自然科学が私を魅惑した。

そして私が自分の疑問をはっきり自分に提起しない間は、
この疑問が切実になって来て、
執拗(しつよう)に解答を迫るということがなかったその間は、

私が学問が与えるそれらの問題解答の模造品で満足していたのである。

で経験科学の分野で言えば、私は自分に次のように言いきかせた。

《万物は発展し、分化し、高等化し、完成へと向って行く。
そしてその運行を導く諸法則がある。お前は全の中の個である。
可能な限りこの全を認識し、また発展の法則を認識すれば、
お前はこの全におけるお前の位置、
そしてまた お前自体を認識することが出来るのだ》と。


白状するのが恥ずかしいくらいだけれども、
まぁこれくらいのところで満足していた時代が 私にあったのである。

それは 私自身がまさに成熟し発達しつつある時代だった。

私の筋肉は発育し、強健になり、記憶力は豊かになり、
思考力と理解力は増大していた。


私は成長し、発達していた。

そしてこの成長を身内に感ずる私が、
これこそ、私がその中に私の人生の諸問題の解決をも発見できる、
全世界の法則だと考えたのも 無理はなかったのである。

でも 私の中の成長が停止する時がやって来た。

私は自分が発達しているのではなく、萎縮(いしゅく)しつつあるのを感じた。

筋肉の力は弱まり、歯は脱(ぬ)けはじめたのだ。

そこで私は、この法則が私に何も納得の行く説明を与えないばかりか、

どだいそんな法則もありもしなかったし、あるはずがないし、
生涯の或る特定の期間に自分の中に見出したものを、
法則と思い過しただけの話ということが分った。

そこで私は もっと厳正な態度で、この法則を裁定して見ようとした。

そしてその結果、無限の発展の法則など あり得ないことがはっきりした。

また、無限の空間と時間の中で
万物は発展し、完全化し、高等化し、分化するなどと言ってみても
--- それはただ空言(そらごと=うそ)を弄(もてあそ)んでいるにすぎない
ということが はっきりした。

そんなものはみんな-- なんら意味を持たぬ言葉にすぎない。

なぜなら、無限の中には
複雑なものとか単純なものとか前とか後とか、
良いとか悪いとかいったものは ないのだから。

5-2 学問--人生問題への適用には向かない

何よりも肝心なことは、私の個人的な疑問
--このもろもろの願いを持つ私とは 一体何であるのかということ--に対しては、

まるでもう 解答が与えられないのである。

そこで私は、これらの学問は大変興味深く、また 魅力的であるけれども、

これらの学問が正確かつ明白であればあるだけ、

どうも人生問題への適用には向かないことを悟った。

それらの学問の人生問題への適用度が少なくなるにつれて、
正確さと明白さが増大する。

それが人生問題の解決を与えようと試みれば試みるほど、

ますます曖昧(あいまい)な、色褪(いろあ)せたものになって行くのだ。

人生の諸問題に解決を与えようとするこれらの学問の分野--生理学、
心理学、生物学、社会学 といったものに眼を転ずれば、

直(ただ)ちに呆(あき)れるばかりの思想の貧困、とてつもない曖昧さ、

柄にもなく問題を解決したつもりのまるで不当な僭越沙汰(せんえつざた)、

そして1人の思想家に対する他の思想家達の対立抗争、

否、自分自身との矛盾撞着(むじゅんどうちゃく=矛盾に突き当たること)
といったものまで眼につくであろう。

一方 人生問題の解決には手を染めないで、

ただ自分の学問的専門的な問題に答える学問分野に眼を向ければ、

人間の知力というものに驚嘆せずにはいられないが、
然し前もって、人生問題への解答がないことが分っているのである。

これらの学問は、まるで人生問題を無視しているのだ。

彼らは言う。

《お前が何者で、なんのために生きているのかということは、

我々として答えられないし、そんな事を研究しているのでもない。

でももしお前が、光の法則、化合の法則、
あるいは有機体の発達の法則について知りたいと思うならば、

また人体とその組織の法則、数と量との相関関係の法則が知りたければ、
更にまたお前の心の動きの法則が知りたいならば、

そうしたことなら何でもはっきりした、
正確な、疑う余地のない答えを持ち合わせている》と。



経験科学の、人生問題に対する関係を要約すれば、次のようになるであろう。

問: なぜ私は生きているのか?

答: 無限に広がる空間と、無限につづく時間の中で、無限小の微分子が、
無限の複雑さで変化している。で、お前がこの変化の法則を理解するならば、
その時なぜお前が地上に棲息(せいそく)するか分るだろう。



一方 思弁的学問の分野において、私は次のように自分にいうのだった。

《全人類は 己れを導く精神的本源、精神的諸理想の基礎上に生活し進展して行く。
これらの諸理想は 宗教に科学に、芸術に、政治形体に反映する。
これらの諸理想は 常に向上に向上を続け、
ついには人類は 最高の福祉に到達する。この私は人類の一分子である。
だから私の使命は、人類の諸理想の自覚と現実に協力することにあるのだ》と。

そういう訳で私は 皮相的に物を考えていた間は、こんなことで満足していた。

然し人生問題がはっきりした形で胸中に生ずるや否や、

そんなセオリー(theory= 理論。学説)など
ことごとく瞬時にして潰(つい)え去るのだった。


この種の学問が、人類のほんの小部分の検討から導き出した結論を、
全般的結論であるかの如く称する いかがわしい不正確さは問わぬとしても、

また人類の理想が何に存するかに関して、種々の陣営の人達の見解が
互いに対立していることは問わぬとしても、

この種の見解のきてれつさ(いっそ馬鹿々々しさ と言いたいくらいだが)は、

各人の前にたちはだかる《私は一体何者か?》
あるいは《なぜ私は生きているのか》
あるいは《私は何を為すべきであるか?》という疑問に答えるためには、

各人は予(あらか)じめ《或るごく短期間の、或る微小な部分しか知らぬ、
未知なる全人類の生活とは何か?》を解決する必要がある、という点にあった。

彼が 自分は何者であるかを理解するためには、
人は前以(まえもっ)て、彼と同様 自分自身を理解しないでいる人達からなる
この神秘な全人類とは何か、を理解しなければならない という訳である。