そしてこれから世俗的事柄を遂行(すいこう)するのには、
世俗的なやり方で それをするのだ。
彼らがいかに迷える兄弟に対する己れの憐憫(れんびん)について、
またその兄弟のために
至高(しこう)の神の台座に献(けん)ぜらる、
祈禱(きとう)について云々(うんぬん)しようと、
世俗的事柄の遂行には 暴力が必要だし、
したがって いつも暴力が用いられたし、
用いられているし、
用いられるであろう。
☆
もし 二つの教派が 各々 自分達を正しい と考え、
相手方を 誤っていると見るなら、
兄弟達を真理に導くために、彼らは自分達の教えを説くだろう。
が もし 誤った考えが、
真理の中にある教会の
世なれぬ(=世間の事情に通じていない)子らに対して説かれるなら、
その教会は 書物を焚(た)き、
その子らを誘惑するものを 隔離(かくり)せずにはいられない。
正教会の意見では、
誤った信仰の火に燃えている分離派の、
人生における最も重大な事柄、即ち 信仰の事柄において、
教会の子らを誘惑(ゆうわく)する人を どうしたらいいと言うのか?
彼の首をチョン切るか、
監禁(かんきん)する以外 打つ手のありようはないのだ!
☆
アレクセイ・ミハイロウィチ帝(註、1645-76在位)の時代には、
火あぶりの刑が、
即(すなわ)ち その当時の最もひどい刑が課せられた。
我々の時代にも、やはり最も過酷な刑が 課せられる。
---つまり 独房監禁が行われるのである。
で 私は 信仰の名において行われるところのものに注意を向け、
愕然(がくぜん)とし、
も早や 殆(ほとん)ど全面的に 正教を棄(す)て去ったのである。
☆
人生上の問題に対する 教会の態度の第二番目は、
戦争や 刑罰に対するその態度だった。
その頃ロシヤに戦争が起きた。
そしてロシヤ人は、基督(キリスト)教的 愛の名において
自分の同胞達を 殺し始めた。
この事について考えない訳に行かなかった。
殺人 というものが、
あらゆる信仰の根本原理に反する悪であることを見ない訳に行かなかった。
それなのに教会では、
我が軍の武器が うまく敵をやっつけるようにお祈りし、
信仰の教師は
この殺人を
信仰から流露(りゅうろ)する事柄だと認めるのだった。
☆
そしてまた私は、戦争における殺人のみならず、
戦争に続くごたごたの時代に、
教会の神職者達、
また教師達、
修道僧達、
スヒマ僧達が、
迷える助けなき若者達を殺すことを是認(ぜにん)したのも見た。
そして私は、
これら基督教を標榜(ひょうぼう=主義・主張を掲げ示すこと)する
人々によって為(な)されるところの
全てを注視し
ぞっとしたのだった。