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4-3 闇の恐怖

何よりも永い間 この仮借なき真実から 
私の眼をそらせていた二滴の蜜

-- 家族への愛と、
私が芸術と呼んでいたところの創作活動への愛--

も早や私にとって 甘さを失ったのである。

《家族か--と私は自分に言う。でも家族
--妻や子供達、彼らもやっぱり人間じゃないか。

彼らだって、そっくり私と同じ条件の中にいるではないか。
彼らも嘘偽(うそいつわり)の中で 暮して行くか、
あるいは 恐るべき真理を見るかせねばならない。

なぜ彼らは生きねばならないのか?
なぜ私は彼らを愛し、保護し、育て守って行かねばならぬのか?
私が感ずるような絶望を感じさせるためか?
あるいは 痴呆状態に導くためか?
彼らを愛するからといって、彼らから真実をかくすことは出来ない。

一歩々々と知識が増す毎(ごと)に、
彼らはこの真実に近づいて行く。

その真実とは---死》



《では芸術は? 詩は?》

うまうまと世人の賞讃を博したおかげで、私は永い間、
全てを無にする死、私の業績もその思い出も無に帰する死がやって来るにもかかわらず、
それをやる価値のある ひとかどの仕事だと自分を説得して来た。

然し 間もなく私は、これまた欺瞞にすぎないということを見てとった。

私には 芸術が生の装飾、生への誘いであることが はっきりしていた。

ところで 生が私にとってその魅力を失ったのに、
どうして私に他人を誘うことが出来るだろう?


私が自分自身の生を生きないで、
他人の生活が その波の上に私を翻弄していた間、
また私がそれを言いあらわし得なくても、とにかく生に意味があると信じていた間は、
--詩や芸術における いろんな種類の人生の反映が私に喜びをもたらした。

私には この芸術の鏡の中に 生の姿を眺めることが愉快だったのだが、

私が生の意味を探し始めるや、

どうでも自分で生きることの必須性を感じ始めるや、

この鏡は 私にとって用のない、

余計で滑稽な、あるいはむしろ にがにがしいものに変ったのである。

私は 自分が鏡の中に見るところのもの、
つまり 私の置かれた立場が 愚劣で絶望的である
という事実に 慰みを覚える訳に行かなかった。

私が心の底で、自分の生活が意味を持っていることを信じていた頃は、

その鏡を見て 喜ぶのもよかった。

その頃は この光の戯(たわむ)れ
--人生における喜劇的、悲劇的、感動的、美的、
戦慄的(せんりつてき)な--が 私を慰めた。

然し、私が、人生が無意味で恐怖に充ちていることを知った時、

この鏡の中の戯れは、

も早や 私をうかれさせることは出来なかった。

いかなる蜜の甘さも、私が竜と、私を支えている灌木を嚙る鼠を見た時、

私に美味を感じさせることは出来なかった。



が、それだけではない。

もし私が 人生に意味なぞないとあっさり観念出来たら、

そのことを知っても 騒がなかったろうし、

それが自分の宿命だと悟ったでもあろう。

でも私は、そうした境遇に安住できなかった。

もしも私が森林に住んでいて、
そこからの出口のないことを知っている男のようだったら、

私は生きて行けたであろう。

でも 私は森林にさまよい込んで、迷ったことに恐れおののき、

何とか道に出ようとあがく男-- 一歩々々ますます迷い込むことが分っていながら、
やっぱり あがかずにはいれない男のようものだった。



そのことが何よりも恐ろしかった。

そしてその恐怖からのがれるために、自殺を思ったのである。

私は 自分の前途に待ち構えるものに おじ毛をふるった。

その恐怖の方が、自分の置かれた境地自体より
もっと恐怖に充ちている ということも 分ってはいた。

でも私は、じっと辛抱強く破局を待つことが出来なかった。

どうせそのうち 心臓の血管が裂け、

あるいは何か内臓が破裂して、何もかもおしまいになるんだとは、

理屈の上ではどんなに分っていても、

やっぱり辛抱強く 破局が待てなかった。

闇の恐怖があまりにも大きくて、

私は一刻も早くロープか銃で その闇を脱出したかった。

そうした気持ちこそ 何よりも強く、

私を自殺へ引き寄せたのである。

4-2 馬鹿みたいにぼんやりと頂点に立っている

その時の精神状態は、言って見れば 私に次のように感ぜられた。

--私の生涯は、一種の、
何者かが私の上に仕組んだ 愚劣で意地悪なメロドラマにすぎない、と。

私は その自分を創造した《何者か》を認めなかったにもかかわらず、

何者かが私をこの世に生まれさせて、意地の悪い、愚劣なふざけ方をしている、
といった表象形式は、私にとって 最も自然な表象形式だったのだ。



私にはどうでも、今、どこかで何者かが、
私がたっぷり30年乃至40年生きつづけ、
学び、成熟し、心身共に発達し、
そして 現在の私のようにすっかり思考力も固まって、
そこから人生の全展望が開ける生の頂点に達して、

--さてそこで、人生にはなんにもないし、過去にもなかったし、
未来にもないであろうことが はっきり分かって、

馬鹿みたいにぼんやりと その頂点に立っているのを見て 面白がっている、
といった気がした。

そいつにしたら ふき出したいだろうなぁ-- といったような。



然(しか)し その私を嘲笑する何者かが存在するにしろ しないにしろ、

そんなことで私の悩みが軽減される訳のものでもなかった。

私は 自分のどんな行為にも、また生活全体にも、
なんら合理的な意義を附することが出来なかった。

私はただもう、なぜ最初からそのことが分からなかったのだろう と不思議だった。

そんなことはもう 疾(と)っくにみんなに分かっているはずだ。

今日-- でないなら明日、病気が、死が 愛する人々を、
(すでに過去において 眼のあたり 起きたことだが)そして私を襲い、
悪臭と蛆(うじ)との外 なんにも残らなくなるのだ。

私の業績は、よし どんなものにせよ、早晩すっかり忘れ去られ、

そして第一に この私が 元も子もなくなってしまう。

だのに一体 何のために齷齪(あくせく)せねばならないのか?

どうして人は この事実に眼を瞑(つむ)って生きて行けるのか?

-- 全く驚く外はない!

生に酔いしれている間だけは、生きて行かれもしよう。

でも 酔いがさめるや否や、

それは何もかも欺瞞、しかも 愚劣な欺瞞であることを見ないではいれまい。

いや こうなれば全く、滑稽とか巧妙どころの騒ぎでなく、

-- ただもう 残酷で愚劣という外(ほか)はないのだ。



古い東洋の寓話の中に、廣野(=広野)で怒り狂う野獣に出会った旅人の話がある。

旅人は 野獣をのがれるため、水のない井戸に逃げ込むのだが、その井戸の底には、

口を開けて 彼をのみ込もうと構えている一匹の竜がいるのが見える。

そこで この可哀そうな男は、怒り狂う野獣に滅ぼされるのを恐れて、
井戸からはい上がる勇気もなく、
竜にひとのみにされそうで、井戸の底にとび降りることも出来ず、
中途の隙間に生えている潅木(かんぼく)の枝につかまっている。

手がだんだん疲れて来て、彼は間もなく 両面から彼を待ち構える滅亡に
身を委ねる外ないことを感ずる。

それでも彼はつかまっているのだが、ふと見ると 二匹の、
一つは黒い 一つは白い鼠が、彼のつかまっている潅木の幹の周辺を
規則正しく ぐるぐる廻りながら、それを齧(かじ)っているのに気がつく。

今にも潅木が倒れちぎれると、彼は竜の口へ落ちて行く。

旅人はこれを見て、所詮(しょせん)もうおしまいだと知る。

然し ぶら下がっている間に彼は あたりを見廻して、
潅木の葉に 蜜の雫があるのを発見し、舌をのばして それを嘗(な)める。

こんな風に私も、死の竜が どうでも私をやっつけようと待ち構えているのを知りながら、

生の小枝にしがみつき、どうしてまた こんな苦境に陥ったのか、
訳が分らないでいるのである。

そこで私は、以前に私を喜ばした蜜を嘗めようとして見る。

でもこの蜜は、も早 私を喜ばさない。

そして一方 白と黒の鼠-- 昼と夜--が、私のつかまっている小枝を嚙(かじ)っている。

私には竜の姿がはっきり見えて、蜜の味が ちっとも甘くないのである。

私がじっと見つめるのは、--ただもう 宿命の竜と鼠の姿--であって、
それから眼を離すことが出来ない。

これはもう 寓話などではなく、これこそまぎれもない、
論駁(ろんばく=相手の論や説の誤りを論じて攻撃すること)の余地のない、
誰にも分り切った真実なのである。



竜の恐怖を蔽いかくす、従前の生の喜び という欺瞞は、

もう私をだますことは出来ない。

どんなに私に、

お前は 生の意義を悟りっこない、

考えるな、ただ生きよ、

と言っても、そんな訳には行かない。

私は以前から、あまりにも永い間 そんな風に暮して来すぎたのだ。

今では私は 昼と夜、私を死へと導く矢の如き光陰を見ずにはいられない。

私は それだけを見つめる。

なぜなら それだけが--唯一の真理である。

ほかのものは--みんな まやかしにすぎない。

4-1 50歳に充たぬ頃--幸福な人間であるはずの私

私の生活は行き詰った。

私は呼吸し、食べ、飲み、眠ることは出来た。また 呼吸や飲食や睡眠などは、
やめられる筋合いのものでもなかった。

でも それの充足を合理的と感ずるどんな希望も私にはなかったのだから、
生活そのものが なかった。

よし 私が何かを希望したとしても、私には前以(まえもっ)て、
その希望を充たしても充たさなくても、
どうせ 何の足しにもなりはしないことが分かっていた。

よし 女魔法使いがやって来て、私の希望するものを叶えてやろうと申し出ても、
何といっていいやら わからなかっただろう。

また 若(も)しも私に、酩酊の折りなど、希望とは言えないが、
従前からの希望の惰性のようなものが現れるとしても、
酔いが覚めるや、そんなものは欺瞞にすぎなくて、
何も望む程のものでないことが分かるのである。

真実を知ることすら、私には望ましくなかった。

なぜなら、その真実がどんなものか、見当がついていたからである。

真実とは、人生は無意味である ということだった。

まるで私は 暮らしつづけ、進みつづけ、

あげくは 断崖に行き着いて、

この先には 滅亡の外 何もないことが はっきり分かった、といった風だった。

止まることも出来ないし、

引き返すことも出来ないし、

前途には ただ苦悩と まぎれもない死
-- 完全な絶滅以外の何ものもないことを見まいと目をつむることも出来なかった。



私には、健康で幸福であるこの自分が、
もうこれ以上生きて行けないと感ずるという事態が生じた。

何か抗し難い力が、
何とかして人生からのがれるようにと 私を誘(いざな)うのだった。

でも 私が自殺を望んでいた とは言えないのである。



私を 人生からのがれるよう誘った力は、望みなどというものよりもっと力強い、
もっと横溢した(おういつ=あふれるほど盛んな)、もっと普遍的なものだった。

それは 従前(=これまで)の生への精進努力に似て、
ただそれが 反対の方向を目指しているのであった。

私は全力をあげて 生からのがれようと もがいた。

以前に 生の改善の想念が生じたように、

今度は 自殺の想念が ごく自然に生じて来た。

この想念が 凄(すご)く魅惑的なので、
私は あまりあわててそれを実行に移すことがないように、
自分自身に対して からくりをしなければならなかった。

私が あまり事を急ぐのを欲しなかったのは、ただ、
何とかこの窮状を打開するためにやれるだけやって見たい と思ったからだった。

もし打開が出来なくとも、死ぬのはいつでも死ねると思われたのだ。

そこでその時、幸福な人間である筈(はず)の私は、
毎晩着物を脱いで 独りぼっちでいる私室の、
戸棚から戸棚に渡された横桁(よこげた)に首を縊(くび)ることがないように、
身辺からロープ類をかくしてしまい、
あるいはまた、あまりにやすやすと
自分をこの世からおさらばさせる危険物の誘惑に乗らないために、
銃を携帯して 猟に出あるくのもやめてしまった。

私は 何を望んでいるのか、自分でも分からなかった。

私は 生を恐れ、

それからのがれようと もがきながら、

一方なお 何かを生に期待しているのだった。



この事が起きたのは、

申し分のない幸福 とされているものに、
各方面において 私が恵まれていた時のことだった。

それは私がまだ 50歳に充たぬ頃である。

私には 善良な、愛し愛される妻や、立派な子供達や、私が別に骨を折らなくとも、
自然に生じ また増大して行く莫大な財産があった。

私は それ以前のどの頃よりも 身内の者や友人達に尊敬され、
他人に賞(ほ)めそやされ、殊更(ことさら)うぬぼれなくとも、
自分の名声が 輝かしいものであると考えることが出来た。

のみならず私は 狂気、あるいは精神的に不健全といえないどころか、

反対に 自分の同年輩の人々の間にめったに見かけない程の、
精神的肉体的力を持ち合わせていた。

肉体的には、草刈りで 農夫達におくれをとらずに働くことが出来た。

智的労働では、8時間乃至(ないし)10時間 ぶっつづけに仕事が出来、

その無理が あとに尾を引く ということもなかった。

そうした状態にありながら、

私はもう生きて行けない といった心境に直面し、死を恐れて、
自殺などすることのないよう 自分に対して からくりをしなければならなかったのだ。