11-2 富裕なる有閑無為な我々は 狂人だということを悟った

もしも自分の生涯を 拷問や 断首に過してきた死刑執行人とか、

ぐでんぐでんの よっぱらいとか、

あるいは一生涯 暗い部屋に坐っていて、
この部屋を汚し、この部屋から出たが最後 自分は滅びてしまう
と想像している狂人とか、

--- そういう人が 

生とは何か?


を自問したら どうなるだろう?

明らかに彼は この問いに対して、

生とは最大の悪である、とより外の答えを得ることは出来まいし、

またその狂人の答えは 完全に正しくもあろうが、

ただそれは 狂人自身にとってのみである。

☆

私もそうした風の狂人だったらどうだろう?

我々みんな、富裕なる有閑無為な人達は、

そうした狂人だったらどうだろう?

いや、私は、我々が 事実そうした狂人だということを悟った。

この私はもう、間違いなくそうした狂人だったのだ。

☆

実際のところ、

鳥は翔(と)び、食べ物を集め、巣をつくらねばならぬように出来ている。

それで 鳥がそうするのを見れば、

彼らの喜びは そのまま 私の喜びと感ぜられるのである。

山羊(やぎ)や兎(うさぎ)や狼(おおかみ)は、

食をあさり、繁殖(はんしょく)し、

仔を育てるように出来ている。


で 彼らがそれをやる時、

彼らが幸福で、彼らの生き方が合理的であるという
確固たる意識が 私にあるのである。

☆

では 人は何をなすべきか?

人も 動物と同様 生活のために稼がねばならないが、

ただ 彼が一人で稼ぐなら 滅びてしまうという違いがある。

彼は 自分のためにでなく、

万人のために 額に汗せねばならない。

そこで彼がそうするなら、

彼は幸福で、彼の生活は合理的であるという、
確固たる意識が私に生ずるのである。

☆

自分の物心ついて以来の30年間に 私は何をやって来たか?

私は 万人の生活のために稼がなかったばかりか、

自分のためにすら 稼がなかった。

私は 寄生蟲的な暮しをやり、

何のために自分が生きているのかと自問して、

何のためでもない という答えを得た。

もし 人間の生活の意味が 生活のために額に汗することにあるならば、

30年間も 生活のために稼ぐことなく、

寧(むし)ろ 自分や他人の中の生活を滅ぼしていた私が、

自分の生活は無意味であり 悪である という答え以外の答えを

どうして受け取ることが出来ただろう--- 

---私の生活は実際 無意味でああり 悪であったのだ。

☆

全世界の生活は、誰かの意思によって行われている。

---誰かが 全世界の生活と、我々の生活でもって、何か自分の仕事をしている。

この意思の意味を悟ろうという希望を持つためには、

何よりも先(ま)ず、その意思を遂行(すいこう)すること、

その意思が 我々に求めるものを為(な)すことが必要である。

もし私が 自分に求められるものを為さなければ、

自分が何を求められているかが 決して分らないだろう。

況(いわん)や 我々全部が、

全世界が何を求められているかは、もっと分らないであろう。